年末年始かがひむまとめ

北に逃避行したり虎になったり無節操。
二号捏造・獣姦ちゅうい。







じゅうにがつさんじゅういちにちしんや

 遠くにみえる光の塔が示す数字は真夜中を過ぎていた。
 イルミネーションで彩られた景色はずいぶん遠くにいってしまった。見慣れない景色をあてどもなく、はじまりから歩いて。いまはどのあたりなのだろう。向かっている方向に館のような大きな建物が見える。そこで、この長い公園もおしまいなのだろうか。
 雪が降っている。雪が、降っている。水気のない灰のようなかたまりが、風のないなかただ深々と空から落ちて地に積もる。
 静かだった。年の瀬の、観光地だというのに周りに人はほとんどいない。
 さく、さく、さく。ふたりが雪を足跡のかたちに踏みわけていく音しか聞こえなかった。
 足跡が残っているのだろうと、思う。この雪の勢いならば、朝には新しい雪で埋まって消えてしまうだろうけれど、あと数時間は寄り添ったふたりぶんの足跡が残っている。華やかな一丁目からつづく、レールのように敷かれたくぼみ。気に留める者がいなくとも、自分とこの男が残した足跡が線を引くようにここまでつづいている景色を思うと、氷室は肌を刺す寒さにまどろむことができた。

 二度目のウインターカップが終わって、ふたりきりで出かけたのはほんの数時間前。
 住み慣れた実家に帰るのでも、男の東京の部屋に籠るのでもなく、どこか遠くへ。誰も自分たちを知らない場所で、別人になったように過ごしてみたかった。
 海峡をこえてこの国の北端に位置する、かわったかたちの島。
 秋田よりも北に行きたいといったのは氷室だった。

「駆け落ちみたいだ」

 照明を落とした飛行機の座席でそんなことを口にする。
 我ながら馬鹿なことを言った。だが、その馬鹿な真似がゆるされる状況を氷室と隣の男はつくりだした。こぼれた戯言を耳に入れる者も咎める者もいない。
 駆け落ちもなにも、そもそも恋人ではない。ただの、兄弟だ。
 それ以上でもそれ以下でもない。きょうだいでなくてはならない。そうあるために一年前、同じコートで向かい合った。

 ふたりで決めたやくそくごとにいつまでも縛られている。
 それしかふたりを繋ぎとめるものがないかのように。

 幼馴染に戻っても日常はかわらない。いまのふたりの関係を具体的に示すあたらしい名前をつけても。男と自分の間柄をどのように定めればいいのか、もはや氷室にはわからなかった。

 つめたい海を晒す窓の外を見るふりをして膝にかけたタオルケットの先から手を伸ばす。座席からあがる寝息がかたちづくる沈黙のうす暗がり。弟は微笑して温もった毛布のなかで指を絡めた。

 空港に着いて都心部のホテルに荷物を置き、ちかくの公園まで足を運んだ。飛行機が降りた時点で真夜中に近かったが、眠る気になれなかった。降り積もる雪にいたずらに身体を動かす。弟は雪がめずらしいのか殊更はしゃいだ。白い景色を手ですくって、雪玉をそのあたりに投げてみたりした。

「すげー雪!」
「そうだな」

 柄にもなくふたりで手をつないだ。手袋はコートのポケットの中にはいったままだ。
 氷点下の屋外をむきだしの手で過ごすことの愚かさを知っている。触れ合っているとはいえ末端から赤くつめたく痺れていく。

 恋人ごっこをしている。どちらもそれを口にしない。

 歩いて、歩いて。公園のつづく限り足を動かした。景色は次第にさびしく、暗くなっていった。
 目の前はどこまでも白い景色が続いている。広場なのか、なだらかな雪山がそびえていた。いままでに歩いてきた区画よりも広く、ことさら物悲しい景色だった。それでも氷室はどうかまだ公園がつづくようにと願わずにはいられなかった。
 火神が手を離した。
 重ね合わせたてのひらだけがぬくもる弟の手を、氷室から求めることはできなかった。

「さっみ。冷えてきたな。そこの自販機でなんか買ってくるから、ここで待ってて」

 かじかんだ指が光度の高いあかりを放つ箱をさす。さまざまな色を使ったそこだけが、いやに賑やかに思えた。
 飲み物などいらない。ふきだしの外に出せるはずもなく。くちびるは微笑を浮かべて、「気をつけろよ」と口にする。

「うわ」

 言ったそばから火神が転んで、地面に倒れた。したたかに腰を打ったように思える。男は雪のつもった地面に埋もれたまま立ち上がらない。「大丈夫か」氷室は急いで駆け寄り、転がったままの身体に手を伸ばした。

「っわ」

 差し出した腕をつかまえられ、引き寄せられるまま隣に寝転がった。雪が舞い上がる。白い地面にあおむけに埋まった。くちびるがくすぐったくほころぶ。

「わざとやったな」
「あのままだったらタツヤまで一緒に転ぶだろ」

 だから手を離した。そう伝える火神にどう返せばいいのかわからない。
 灰色がかった暗い空から雪が降ってくるさまを、ぼんやりと眺める。
 ネオンから遠ざかった冬の空はただ暗かった。先の見えない闇からそれだけが色を持ったように、雪が落ちてくる。
 雪が落ちる。雪がおちる。綿のようにあわい水のかたまりは身体に落ちればすぐに消える。

「タツヤが日本で過ごすの、これで最後、か」

 確かめるように声に出す。何も言わなかった。やることを終えたいま、生活の拠点は慣れたアメリカに戻すつもりだった。そのために氷室は準備を進めてきた。もうあと数か月もしないうちに、この国を離れる。太平洋を隔てたあの地には家族も師匠も、親友もいる。

「一年、待っててくれ。すぐに、あんたのとこまで追いつくから。だから、待ってて」

 火神が約束するように穏やかに微笑む。
 ずいぶんやわらかく笑うようになったのだと、そのことがひどく胸をいたませた。
 隣で寝転がるこの男がいつまでも氷室の知る弟でいるはずがないのだ。だが男はかわらず氷室の隣が己の定位置だと自分から口にする。

 来て、くれるのか。俺のために、友も仲間も置いて戻ってくるのか。

 喉元までせりあがった言葉はいつまでも引っかかったままで。
 ただ、わかったと。そう口にすることしかできなかった。

火氷深夜の真剣創作一本勝負
お題「WC/年越し」





まひるのしろくろ

 雑煮をたべたあとだというのに兄の腹はさほど変わっていなかった。
 テレビを消した昼のリビング。窓から正月らしい陽光が部屋の隅々まで照らしている。
 初詣をして雑煮を食べて。元旦にするべきことは済ませたと思う。練習が始まるのは四日から。兄が東京を発つのは三日。それまでの予定は決めていない。兄も火神も白紙なので、したいことをすることにする。
 黒いソファで開いた兄のからだ。火神は向かい合うむきだしの腰から下にはいりこんで、ゆるゆるとなかをこすっていた。こんなことをするために作られたものではないので、革のソファはつっぱるし動きづらい。かといって天気のいい昼からベッドにもぐる気にはなれなかったし、寝台を置いた火神の部屋はリビングよりも暗い。フローリングの床は固いので兄の身体を痛めてしまいそうだが、客用の敷布団を広げるのはなんとなくめんどうだ。
 部員や部屋に来た客があたりまえに腰かけるソファで兄を組み敷くことに、晴れやかな罪悪感を抱く。誰にも知られないし、こちらが口にしなければ誰も気にしない。どこで身体をつなげようと誰の迷惑にならないのだから、咎められることではないのだ。だが、性行為ときりはなされた場所で兄を剥き、秘されたそこでくちゅくちゅと濡れた音を立てるのは、とても、かなり、興奮する。勢いこそつけていないものの、何度でも腰を振ることができそうだった。
 何をするにも邪魔なので下は取っ払ってしまったが、上は脱ぐのがおっくうでそのままにしている。指輪すらはずしていない。兄は火神がまくりあげたセーターの裾を首元で留めたままに、ひとりで胸などをいじっていた。紅を差した右の乳首はつんと上を向いて、兄の指のなかで押しつぶされたり、こすられたりしている。指輪は兄が身をよじるままにずれていって、ソファに落ちていた。火神のものは兄と火神のあいだでふらふらと揺れている。
 胸をいじる右腕と胴の色味がかすかに異なることに気づく。日に晒された腕はほのかに焼けていた。それでも火神の肌より薄い。
 日のあたることのない乳白色の肌に浮かぶ黒い点。誘われるように腰を抱いた。腹に生じたそれを確かめるように、抱いた親指で触れる。
 墨が跳ねたような、かすかなそれ。ましろい半紙のような兄の身体にひとつ。
「なに……?」
「なんも」
 真昼の日差しに照らされた兄の肌は火神の目にやわらかく映えた。染めていない絹のように、編みたての木綿のように、なつかしさを掻き立てるものだった。むかしはよく、兄の家の風呂場でいっしょに身体を洗った。夏のキャンプでは川に飛び込み、海岸線ではシャツを脱いで海にあそんだ。
 兄のからだにほくろはなかった。昔、目にしたときにはなかったものがいまはある。なぜ、いままで気がつかなかったのだろう。
 臍のななめ上あたり。ぽつんと浮いたそれを舌でなめてみる。兄が「わひゃっ」とゆかいな声をあげた。驚いたのか、なかもひくんと締まってすこしたのしかった。
 墨ならば落ちるが、氷室の肌の内から生じたものだ。火神はほくろを濡らしただけで、こそげ取れるものではない。ぬるい唾液によってつやつやとひかるそのあたりを眺める。昼の日差しに当たって、羊羹のように照っている。
 火神は兄の身体を見下ろした。肩と、胸と、腹。きれいな点がみっつ。
「……夏の大三角形」
「は?」
 疑問符のまま目をぱちくりなどとかわいらしい態度を取るはずもなく、行為のあまやかさから覚めた兄が素に近しい声をあげる。下でぱっくりと根元まで火神のものを受け入れているというのに、穿たれているという自覚がない。
 でも、兄の白い肌にほくろは映える。いくら深みを増そうと夜空に星がなければ誰も見上げないように、気まぐれな黒い点が散った兄の肌は言いしれぬ魅力を持つ。
 すいかに塩。しるこに昆布。相反するものは互いを引き立て合うのだとそう喩えれば頭か臑のあたりをぽかりとやられそうで口にできない。
 なぜ、いままで気がつかなかったのだろう。兄の肌に浮かぶほくろ。情欲の炎が盛んになる。指で辿った。腹から胸、胸から肩。こうして兄の身体のほくろを舐め、触れ、愛でることができるのは自分だけと思うと、たまらなく。
 下腹がずくずくと熱を持つ。埋め込んでいる肉のなかで、欲望の権化が牙をむく。
「はやく動けよ」
 身の内に巣食う獣の影に気づいていない兄が、やや不機嫌に求める。兄のほくろに心を奪われてから腰を振っていなかった。差し込んだまま意味のつながらない挙動をする火神を兄が不審がるのももっともなこと。
 ひとりでにゆるんだ頬に眼下の兄が眉をひそめる。晴れて出たおゆるしとあれば大手を振って事をせねば。
 腰を抱いて奥のおくまで貫けば、兄がひっと悲鳴を上げた。そのまま兄のすきなところをぐりぐりといやらしく何度もなんどもこすってやる。んっんっと抑えていた声はいまや部屋の隅々にまで甲高くひびき、火神を迎え入れる脚はひとりでに掲げられ、腰のあたりで巻き付いていた。自分から招くように火神の背で足首をまとめ、きゅっと留めている。
 兄のからだを行き来するたびにしなった雄が火神の腹ですれた。きもちがいいのか、兄は腰を揺らして火神の固い腹につくよう雄をたぐる。
 兄がいきそうになるところでやめた。ぎゅううとなかは締めつけているがしらんぷりをする。踵で背中を叩かれるもそれすら愛おしい。
 眼下の下腹はひくひくとこわばり、べつのいきもののように動く。
「こう?」
 犬のように息をしたいのを抑えて、くちびるをへの字に結んだ兄がむっとこちらを睨んでいる。両目とも涙に濡れて、いまにもこぼれ落ちそうなほどぷっくりとふくらんでいた。
 いきたいのにいけなくて、駄々をこねるようにきゅうきゅう内側が締まり、火神にはとてもよい。静止した火神の雄をせめてもの代わりにしようと寄せる熱い肉の感触を、ただ味わいつづける。
 わざと、焦らすように腰をまわした。それだけで大げさにひくんと跳ねる兄のからだ。なかは言わずもがな。ほくろの散った白磁の身体がくるしげにへこんだりうわずったり。
 ふっとくちびるが弧を描く。火神がほんのすこし身をよじるだけで愛しく焦れるこの身体。
 新しい年もこうして兄をひとりじめできることに、火神はゆるゆると安堵して。
 前髪の散らばった、濡れた額をこてんと寄せる。身体をおしつけたせいでなかへ深く押し入っても、兄は気丈に涙さえ流さない。
「今年もよろしく頼む、です」
「……泣かせてやるから覚悟しろ」
 兄の台詞に左胸はとくとくと弾んで恋を始める。火神はおもいきり抱きついた。


「……っ、たぁつーやかーわいー。ちょうかっこいいぜ! です!」
「うるさいさわぐななかえぐれる!」
「かわいくてかっこよくてバスケつええって俺の兄貴最強じゃね。あータツヤ好きすぎてやばい」
 鼻先がふれあう近さで顎をくっと持ち上げられる。闘志に燃えた兄が、喧嘩を売るように愛のことばをささやいた。
「その言葉、そのままそっくり返してやるよ。好きなだけやばくなってろ」
「―――ッ!! たーつーやぁあ! マジに抱かせて! 腰イカれるまで!」






いちがつついたちごごにじはん

 どこからともなく漂ってくる甘酒のほのかな酒粕のにおいに、僕はずっと鼻をひくひくさせていました。
 晴れ着に身を包んだ大勢のひとたちが前の通りを行き来していることでしょう。ときには、不思議そうにこちらを窺ったりしているのかもしれません。そうした姿を僕は木吉先輩や伊月先輩のからだの切れ目から柵の向こうの景色を覗くように見ています。というのも、隠してしまうようにみんながくるりと僕を取り囲んでいるからで。
 参拝客がひっきりなしに通る神社の参道で、年の初めからかごめかごめをしているわけではありません。うしろの正面はカントクだとわかっていますし。隠さなくてはいけないのは僕ではなくて、僕のパーカーを乗り物にしている二号です。
 部のみんなで面倒を見ていることもあって、試合の会場や河原、スポーツショップにファミレスなどなど、僕らは二号をいろいろなところへ連れていきました。大切な仲間、ですから。なので、こうしてみんなで初詣をするとなったときに河原君が二号を連れてきたのは、ごく自然な流れでした。
 とはいえ、二号と一緒に初詣をするのはこれが初めてです。僕らは誰ひとりとして、元旦に神社を訪れる参拝客の多さを二号の身になって予想していませんでした。本殿の前でお賽銭を投げて二礼二拍手一礼をするまでの間、かなりの待ち時間ができます。その間、人の波に二号は耐えていられるでしょうか。
 もし無事に二号が僕のフードのなかに収まっていてくれたとしても、問題はそれだけではなく。まず僕らが神社に着いて打ちひしがれたことに、鳥居の前にはペットの同伴禁止の札が掲げてありました。これでは二号と一緒に境内へ入ることから考え直さなくてはなりません。神域に四本足はご法度なのです。
 正月の間、二号の面倒を見ていた河原君が諦めたようにぼやきます。
「やっぱ二号つれていけないよな……。いくら黒子のフードにしまっても、この人出じゃ潰されそうで……」
 よって僕らは初詣と二号の面倒をどうするか、あれやこれやと話し合って解決法を手繰ろうとしていました。神社の参道に二号がいることがあまり公にならないよう、二号の乗り物である僕を隠してしまうようにちいさな輪を描いて。背が低いとはいえない男子高校生が集まり、参道の片隅で輪をつくる。皮肉にもそれは周囲の注目を集めていました。幸いにも「ちょっと君たち」などと警備の方にはまだ、声をかけられていません。
 誰かが残ってここで二号の番をするか、そのあたりの木の根元にリードをつなげて二号に待っていてもらうか。そのくらいしか僕らにできそうな案はなさそうで、そのどちらかを選ぶしか術はないのに、どうにも煮え切らないままでいました。一月がおわれば、木吉先輩がアメリカへ行ってしまうこともあったからでしょう。できることならみんなでお参りをしたいと、誰も口にはしませんでしたがそう思っているようでした。
 二号をどうするか。その話し合いがはじまってから、むずかしい顔をしていた火神君は氷を割ったようにはっと表情をくずして、けれどそのあと、もっとむずかしい顔をしてだんまりを決め込んでいました。何かを堪えるように、眉間に皺を寄せてくちびるはまっすぐに結んで、むむむと唸っています。誰も火神君の百面相を口にしないので、いいかげん僕は声をかけてみました。
「火神くん?」
「……ちょっと待っててくれ、です」
 そう残すと、ひとりで境内のほうへ走っていってしまいました。みんな、前触れもない火神君の行動に首をひねるばかりです。
 しばらくして帰ってきたと思ったら、火神君は誰かを連れていました。それが誰だかわかるくらいに近くなる頃には、その人の登場にみんなどこかで腑に落ちたかもしれません。
 暗い臙脂と紺のアーガイルチェックのマフラーを揺らして、急ぎ足の火神くんに引っ張られるままこちらへ向かううるわしいひと。子供たちにバスケを教えていたいつかとはずいぶん違った雰囲気だと、僕はひとり思いました。そう、火神君がそばにいる、それだけで。
「陽泉の、氷室さん……?」
「おお、ウインターカップ以来だな。火神の家に泊まっているのか?」
「あけましておめでとう。すごいな、勢ぞろいだ」
 集まったみんなを前に氷室さんがまったく驚いていない様子で感嘆を口にします。ぺこりと頭を下げる水戸部先輩に、彼はどうもとおじぎをして返しました。自分が注目されていることに頓着せず、むしろ僕らに馴染んだ調子で振る舞うので、まるで誠凛の一員であるかのように錯覚してしまいそうです。
「話は聞いた。二号は俺があずかるから、初詣をしてくるといい。そのあたりをぶらぶらしているよ」
 願ってもいない申し出を受けて、場に喜色が溢れました。ですが彼は陽泉の一員。たまたま火神君と一緒にいただけの部外者です。監督がおずおずと伺います。こちらの都合で巻き込んでしまってもいいものだろうか。
「ありがたいけど……邪魔にならないかしら。氷室くんも予定があるんじゃない?」
「それが案外ひまでね。お参りは済ませてしまったし、帰りがてらアツシの好きそうな甘味処をのぞくぐらいで、これといった用はないんだ。彼との散歩は大歓迎だよ」
 直接話をしているかのように彼はウインクを僕のフードへ飛ばすと、二号を抱きかかえあげました。火神君がとんでもないことだといわんばかりに「あ!」と叫びます。濁点のついたそれは制止はんぶん悲憤はんぶん、まあそんなところです。火神君ですから、しかたありません。
 二号は彼の腕のなかで尻尾をぱたぱたと振って、元気よく「あん!」と吠えました。あまりにも威勢のいい吠え方だったので、僕らはきまり悪くもぞもぞと身体を動かさなくてはならなくて。これで二号がいることはあたりにまるわかりです。
「やあ、君が二号か。前にアツシと増上寺あたりで会わなかった? それにしてもほんとうに……黒子くんと瓜二つとは」
 彼が僕と二号を見比べるようにまなざしを行き来します。二号は舌を垂らして尻尾をちぎれそうなばかりに振り、完全に氷室さんがすきですきでたまらないと全身で訴えています。
「僕と二号の仲ですから。ところで火神君、さっきからすさまじい顔してません?」
「……なんでもねえよ」
「あーわかったー! 二号に氷室取られるのがイヤなんだろー」
「なっ……! ちげえよ! ぜんっぜん、そんなことねえ! なに言ってんすかセンパイ!」
 苦虫をくちいっぱいに食い潰した顔で二号を睨んでいる火神君に、小金井先輩がはやしたてます。自分にしかわからないはずの図星をさされて焦ったのか、火神君は必死に否定しますがみんなは生暖かく見守っていました。こういった遣り取りを過ごすのは、初めてではありませんでしたから。
 小金井先輩のおもちゃになっている火神君を前に、氷室さんは呆れるでも恥ずかしがるでもなく、ただ背中を押して。
「馬鹿だなお前は。ほら、はやく行ってこい」
 一度振り返った火神くんの口元は、文句を言いたげにむずがっていたものから余計な力が抜けたようにいつも通りに戻って。おう、とつぶやいた声は聞いている方がこそばゆくなるような、なんだか気恥ずかしいものでした。
 みんなで本殿に向かう人の波に加わりながら、僕は、見送ってくれる人がいる火神君を、柄にもなくうらやましいと、思ってしまって。
 口元がどことなくほころんだ火神君の腰のあたりに、ゆるく、イグナイトを放ちました。

火氷深夜の真剣創作一本勝負
お題「初詣/姫初め」


↓ひめはじめパートへつづく





たいがまっしぐら

 二年ほどの空白を経て迎えた新年。そのはじまりの一日が終わらないうちに、もたれかかる火神を背に受けて、氷室はよろよろと廊下を歩いていた。氷室の背で思う存分あまえる火神はごろごろと喉を鳴らしながら腹に腕を通して、さすりさすりセーターを揉んでいる。ふにゃふにゃとこめかみやら口元やらを背中にすりつけてきもちよさそうにカシミアを味わう火神に、予定を切り上げてさっさと家に帰ってきたのは正解だったと心から思った。これでは人前で何をしでかすかわかったものではない。
 氷室の背を越して縦だけではなく横も、ついでに質量もみっちりと増した弟をいい加減そのあたりに放ってしまいたかったが、途端にみゃあんとセーターにしがみつくだろうし、弟の握力と体重で掴まれれば裾がびよんと伸びてしまう。寮に戻って紫原に「どしたのそれ」とくわえた菓子の先で不格好なセーターを指されるのは避けたいものだ。それに、一度床に放った弟は氷室の背であまえるよりも輪をかけて面倒になる。まってまってと裾をひっかかれ、脚にまとわりつかれるとなれば氷室は顔から床に転ぶ羽目になるだろう。そうなればどうなるかなど火を見るよりも明らかなので、新年から血を流さないために氷室はリビングを目指して足を進める。
「たーいーがーおーもーいー。あっ、腹を揉むな腹を」
 背中の弟はセーターどころか腹の肉まで掴んでもみゅもみゅといじっている。セーターに比べて掴める肉の量がすくないのか、耳の裏側で息を吹きかけるように不平を言う。
「試合で思ったけどタツヤ細え。もっと食えよ、ユニフォームから腰細えのまるわかりだぜ。白にピンクで膨張色だってのに意味ねえんだもん……スタミナ切れしねえの」
「お前に揉まれる肉はないしスタミナ切れした覚えもない。セーターで我慢してろ」
「ガキんときはやわっこかったじゃねえか。お、こっちはぬくい」
 ズボンからシャツの裾を引きずり出して、するすると素肌をさする。おうとつの生じた固い腹の手ざわりをしばし味わうと、臍から上へねだるように手を伸ばす。氷室は服の上からぴしゃりとはたいた。
「がーまーんしーろー。誰のせいでふらついてると思ってるんだ、落とすぞ」
「タツヤもいっしょに落ちるぜ」
「威張ることか」
 反省の色がみえない小うるさい額へ、親友から授かった秘儀を繰り出す。伸ばした中指をばちんと弾けば弟はたちまち額を押さえて騒ぎ出した。
「いっって! えっ、ちょっ、タツヤいまのなっ……いてえ!」
「アツシたちキセキの彼らすら恐怖した日本古来の武道……カラテだ。わかったら黙ってろ」
「わかるもなにも言われる前に手ぇ出されたんだけど……タツヤといい黒子といい、文句言ってからしてほしいぜ。まーだ背中いてえし……」
 ぶつぶつもらす恨みごとを無視して、リビングの戸を開ける。まだ午後四時になっていない冬の室内はおだやかな日差しが窓から入り、底冷えしきっていない。氷室は鍵をテーブルに落とすと、エアコンのリモコンを取って電源をいれた。外で走る車の音が水を通したようにくぐもって聞こえる室内に、エアコンの作動音がこだました。
 初詣のためにしばらく部屋を空けていたのに、どことなく温もりが残るのはありがたい。秋田ではこうはいかないだろう。年末年始で閉まった寮と部室を思うと、氷室は芯から身震いしたくなった。
 氷室には気にならない室温も火神には堪えるのか、たまらずぎゅっと抱き着いて後ろから羽交い絞めにするように力を入れる。氷室の体温をひとかけらも逃さないとばかりに、むきだしのうなじに頬をすりつけふみゃあと鳴いた。広くて大きな足裏は氷室の裾をさすり、しっかりと回した手はセーターをうすい腹ごと揉んでいる。もともと体温の高い大きなけものに後ろからぴったりとくっつけられた氷室が寒さを感じるわけもなく、腕を伸ばしてあやすように頭を撫でてやった。もともと氷室は寒さには慣れている。


 誠凛の部員と合流した火神を見送り、二号を預かった氷室はのんびりと参道をぶらぶら歩いた。本殿へ続く鳥居より内でなければ獣をつれてもいいらしいので、大手を振って二号を抱いた。犬というものは喜び勇んで外を走り回るものだろうと一度地面に下したのだが、すぐに裾に爪を立てて腕のなかへ戻りたがった。リードもついていないことだし、矢鱈に走り回って迷惑をかけるくらいならまあいいかと抱き上げ、毛艶のよい背中を撫でながら露店を冷やかす。腕のなかで世間話に興ずれば、たちまち二号はあんなことこんなこと、まあ眉唾物ではあったが誠凛の内情を事細かに喋る。ついでに紫原や青峰をはじめとしたキセキのことも口にするのだから、氷室は相槌を打つので忙しい。あそび相手には困らないものの、耳を傾ける者がいなかったのだから、これ幸いと二号は生い立ちから話し始めた。拾われた身であるからして恩義には報いたいと、犬らしい気概もみせる。
 いやねえ姐さん、しかしまああの虎の旦那はどうにかならないものですかね。あたしがちょっとでも近づけば、すぐに毛を逆立ててきます。まあね、いつだったかあたしもおあそびがすぎましたけど、過ぎたことじゃありませんか。ほんのちょおっと、話を聞いてくれるだけでいいんですよ、なのにあの旦那ときたら噛み殺さんばかりに牙をむいてああこわいこわい。姐さんからひとつ言ってやってくださいな。まああたしはね、姐さんがこうして抱いてくれる方がよっぽどあの旦那よりいい具合ですけどね。
 などとひとの弟のことまで口を出してくるのだから、ほっとけと笑い飛ばした。まったく誠凛は可愛いマスコットを連れているものである。おかげで迎えが来るまでの小一時間ほど、氷室はまったく退屈しなかった。
 二号を抱いて露店の前を通ると、不思議なことに売り子がバナナやら甘酒やら石焼き芋やらを寄越してきた。はじめは押し売りかとやんわり断っていたのだが、お代は結構と皆口をそろえて渡してくる。そうなれば受け取らないわけにもいかず、また雪がないとはいえ冬であったから温かいものはありがたい。すると氷室は片手に二号、片手に芋やら栗やらのつまった袋をぶら下げて甘酒などすすりながら、ぶらりぶらりと歩くことになった。
 はて今年は戌年だったかしらと暦を確かめたものの、昨夜から今朝にかけて夜通しでどんちゃん騒ぎに付き合わされ、いやというほど今年の干支が何であったか覚えている。今夜は無礼講と、尻と同じくらい顔を真っ赤に染めた狒々のじいさまにつかまって、酒呑みくらべに付き合わされた。最初から勝負はみえているものなのに、例年飽きもせず十二年まわりの主役に挑まれるのだ。じいさまは勢いづいていたが、やはり今年も最後まで銚子を傾けたのは氷室ひとり。面倒なので樽をすっかり片づけてしまえば、弟は牛のねえさまと羊のねえさまの間にまるまってすぴすぴいびきをかいていた。
 ゆえに今年は申で、二号は犬だ。一年の恩恵を受けるのは猿だけと決まっている。氷室ひとりではこうはならない。となれば、よほど二号は人の受けが良いのだろうと頭を撫でた。
 姐さんあんた鈍いねえ。あの娘っ子らみぃんな姐さんをみていましたよ。いつもはこういかないっていうんなら、そりゃあたしを抱いて隙ができたんですよ。これに気がつかないってんだから、たいしたおんな殺しだ。
 あん、と尻尾をふりふり、ませたことを口にする。
「いいや、他の犬を連れてもこうはならないよ。君の方がよほど女の子たちの心を射止めているんじゃないか?」
 やだねえやだねえ。紫の坊ちゃんか旦那の前でおんなじに言ってくださいよ。あっ、姐さんその芋あたしにもひとつ。
 湯気のあがる石焼き芋をふたつに割れば、きゃうきゃうと腕をひっかいて二号が騒いだ。
 あちこちから集まった露店の品物は紫原か火神がいれば喜んで口に運ぶだろうが、氷室ひとりでは持て余す。誠凛が帰ってくるころにはかちんこちんに冷えてしまうだろう。こうして詣でたのも何かの縁と、氷室は片腕の荷物をすっかり分けてしまうことにした。地蔵に芋、祠に栗、池に人形焼を放れば錆鼠の色をした主がぬらりと鱗をひからせて口を開く。豆もひとつと乞われたので煎った大豆をぱらぱらと撒けば、子分どもがたちまちぱくぱくと上がってきた。
 弟をよろしくと新年の挨拶も済ませ、カラースプレーの散ったチョコバナナをかじりながらまた参道に戻れば、軒の露店には溢れるほどの人だかり。忙しなく働く売り子を前に、めでたいことだと二号の前脚を揺らした。
 それにしても、あたしとふたりきりでよかったんですかい? そこいらの木につないでもあたしはなんにも気にしませんでしたけど。
「今日は誠凛の初詣じゃないか。むやみやたらに部外者が立ち入るものではないし、そもそも俺が呼ばれたのは君の番をするためだよ」
 はあ。ずいぶん物分かりがいいというか他人行儀といいますか。
「まるで俺と一緒にいたくない口ぶりだな。せっかく話を聞いてやったというのにつまらなかったか?」
 いんや滅相もない。こうして抱いてもらえているだけであたしには過ぎたしあわせですよ。でもほら、あたしこのとおり鼻が利きまして、姐さんからぷんぷんと旦那の……ねえ? それでいて姐さんもまた乗り気なものだからもうこちらとしちゃあ目の毒ならぬ鼻の毒。黙っておこうと思いましたが、おふたりのお熱いのに当てられちゃあ、あたしもどうにもむずむず―――。
 言い終わらないうちに二号がひょいと腕のなかからつまみ出された。見上げればいつの間に寄ってきたのか眉をきっといからせた火神が二号の背をひっつかんでいる。
「タイガ」
 おやまあお前、なにが気に食わないんだか。思わず慣れた英語で感嘆符をつぶやけば、顔を合わせた二号と弟は険悪に火花を散らしている。二号は恨みがましそうに、うーぐるると唸って牙をむいた。
「うるせえよ。俺の兄貴に手え出すな」
 二号相手にこんなことを口にしたのだから、うっかり耳にしてしまった誠凛の一団はひそひそと。
「うわ……ブラコン末期……」
「二号相手に……」
「もう犬きらいとか関係なくないか……」
「景虎さんといい勝負だな……」
「パパはあそこまでひどくないわ……」
「えっ、あ、はい……」
 小波のように集まってざわめいている。さてどうしたものかと氷室が呆けていると火神はすぐに二号を黒子に押しつけた。そうしてくるりと振り向き、ずかずかと歩み寄って周りも気にせず抱きしめる。明らかに親愛のそれを越えた力強い抱擁に、氷室はあわてて腕を叩いた。けれど、氷室の身体を閉じ込める弟の腕はゆるまることなく。
「や、ちょっと、タイガ」
 ばか、おもしろがってみんな見てる! そう叫んでも聞こえていないのか固くきつく抱きしめられて、次第に氷室の頬が熱くなってきた。
 ああ……もうだめだほうっておこう……。諦めを通り越して疲れすら感じた誠凛の面々は回れ右をしてさっさと引き上げることにした。二号を抱いた黒子が「火神君それじゃあまた練習で」と代表して場をまとめる。
「あまり氷室を困らせてやるなよー」
「ああん!」
 手を振った木吉につづいて二号が吠え、氷室はなんとかして返事をしようと思ったが縦にのびた弟の背は爪先立ちをしたところで追い越せるものではなかった。
 いつまでも抱きつく弟をひっぺがして鮮明な視界を得たころには、準決勝を懸けて争った相手はもはや誰も残っておらず。氷室が得たものは背中にへばりつく熊の如き猫科の弟だけだった。
 こうなるともう手の付けようがない。予定していた甘味を無視して、松の内の喧騒を楽しむ間もなくバスに乗る。そうして早々と帰ってきた。十六とはいえ身体だけは大きな弟がぺたぺたとくっついて、まわりになにかを言われやしないかはらはらしたが、幸い皆スマートフォンに見入っていたので事なきを得た。そういうことにしておきたい。


 ごごおと通風孔から温暖な風を送りながらエアコンが作動する。しばらくすれば部屋もあたたかくなるだろう。へばりついた火神を放り投げてしまおうと、氷室はソファに背を向けた。上着やマフラーの類を玄関先で脱げたことが奇跡のようだ。しかし火神ときたら氷室の着ていたほこほこの毛糸のセーターを目にした途端、ねこじゃらしに飛びつくように伸し掛かってきたのだから良いのやら悪いのやら。いくら図体ばかり大きくなったところでまだ十六になったばかりの子供。普段、離れている親にあまえることができない分、ここぞとばかり氷室にじゃれついている。
 しかしこうへばりつかれてはなにもできない。まずはこの荷物をすっかりおろしてしまって、それからひとやすみだ。茶でも淹れてあたたかい部屋で足を投げ出そう。ガレット・デ・ロワにははやいが口取りがある。氷室は腹を揉んでばかりの火神の手を握ると、背中からソファへ投げ出そうとした。ところが。
「ほらタイガ、ひとりでおすわりできるよな」
「んーっ。たーつーやーぁ」
「こら待てタイ……っ、うわ!」
 握った手を強く引かれて、ソファに押し倒されたのは氷室のほうだった。景色が反転し、ふかふかの革のソファに尻があたったと思えば、のしかかった火神が首やら胸やらをふんふんと嗅いでいる。そうして親の仇を見つけたとばかりに氷室のセーターからつやつやした黒い毛をつまみあげた。
「あの野郎……こんだけしても犬くせえ……ここぞとばかりにマーキングしていきやがった。せっかくこの二日でタツヤを俺の匂いにしたのに……」
 つまんだ毛に息を吹きかけて床に落とす。氷室はかつて同じ動作をどこかで見たと思ったが、それがどこだか思い出せなかった。あのときは弟がぎゃーっと騒いでいなかったかしら。へんなまゆげとからかわれて、ふたつに割れた先をぶちりと毟られたのだ。はていつのことだったやら。
 氷室が思い出の底をさらっていると火神が顔をセーターにうずめてきた。クレーンゲームのように両腕で氷室の身体をはさんで、ぎゅううと抱きしめている。氷室が景品のぬいぐるみであればうっかり綿が飛び出してしまいそうだ。だけれどそれが火神の、弟のするとびっきりのラブコールだということをこのふつかみっかあまりで氷室は思い出したのだった。昔から火神はぺたぺたとスキンシップを好む子だ。抱きしめる腕の力こそ変わったが、氷室もそれであんこが出てしまうほどやわではない。
 あきれながら広い背中を撫でてやると、投げ出された弟の尻のあたりからむずむずとズボンをかきわけ尻尾が出てきた。芽が出るようにひゅんと伸びた蜜柑色と黒のまだら模様のふさふさの尾は、タンポポの茎のようにきもちよいのかふらんふらん立ったまま左右に揺れている。氷室が手を止めれば尾もぴたりと止まったので、そのまま撫でてやった。目は口ほどにものを言うというが、弟に対しては目ではなく尾に直してやらねばいけない。
「二号のにおい、するのか? ジャケットの上から彼を抱いていたんだが」
 氷室は自分の袖口を鼻先にあてて、すんすんと嗅いだ。特に気になる匂いは感じられない。氷室ではわからないし、なにも変わったところはないと思うのだが、二号にも弟にも言われてしまったのだからふたりのいうそれぞれの匂いがしているのだろう。匂いを放つ本人がわからないのだから、困ったものだ。
 ふかふかとした毛に覆われた彼らと違って、氷室は匂いを放つような身体をしていない。それでも氷室のベッドに寝そべった紫原には、お線香の染みついた古い桐箪笥の引き出しみたいなにおいがする、と称されるのだから、気がつかないだけで氷室もまた体臭を放っているのだろう。夜ごと氷室が寝転がる寝台は紫原にとって祖母の家を感じさせるらしく、よく寛がれる。
「俺の匂いもあるだろう。ふつうは掻き消されるものじゃないのか」
「タツヤのはいい。俺がつけてえだけだから……もっかいやり直しだ」
 弟はセーターに顔を押しつけたままそうしたことを喋る。ほつれた毛糸のくずが口に入らないのだろうか。
 ごろごろとあまえるように喉を鳴らして、顔を洗うように氷室の腹へふんふんとこすりつける。何を言ったところで聞きやしないだろう。弟の仕草に氷室は匙を投げた。だってもう―――こうなってしまったら、することはひとつしかない。
 アーチを描くように吊り上がった腰。我慢しきれない尻尾が、ぴんと立ったままひゅんひゅんと勢いよく左右に振られている。まるで重りをすっかり下げたメトロノームの針をみているよう。隠す気のない尻尾の先、ズボンに隠されている下肢がどうなっているかを思うとため息をつくことすら馬鹿らしくなる。
 氷室はマタタビを嗅いだように夢中になっている弟を、すきにさせることにした。春の猫、猫の恋。春の初めには遠いが、盛っているのはこちらも同じだ。たった二日やそこいらで、離れていた歳月を埋めることなどできないのだから。
「しょうがないなあ……」
「たぁーつーやーぁ」
 氷室の心づもりを察したからか、火神はとびきりにあまえてきた。ぐずぐずに溶けた調子で、体面を気にすることなくふみゃあとじゃれにかかる。どうやらひどく機嫌がいい様子。
 肉球の厚みを持った毛深くなった手が、服の裾をまくりあげる。ふすふすと鼻を鳴らして腹をぺろぺろ舐められた。伸びた髭があちこちに当たってこそばゆい。舌が氷室の胴を、ミルクを注いだ皿のように舐めるのだから、晒された素肌はすぐにぬらぬらと濡れた。まるで溶かしたゼラチンでもかけられたように弟の唾液で覆われている。
 氷室は自身の下腹をしめつけるベルトを緩め、ズボンの戒めを解いた。ジッパーを下げると、まとわりつく殻から逃れるように脚だけでずりおろしていく。火神ではできなくなることをいまのうちにしておかなくては、じきに困ることになる。いくら布を破いたところで留め具は外れないのだし、破かれた服を買いに行くのは氷室だ。
 温度の高い平たい舌が肌をざりざりとこするのが心地よい。舌を当てられていない肌すら毛を毟られたようにぽつぽつと粟立って、焦れるようにうずきだす。
 臍のくぼみを舌先でずりずりとえぐられて、次第に息があがっていく。蔓が身体を這うように臙脂色のなめくじが鳩尾をのぼり、胸の尖りに居着いた。指でする戯れよりもねちっこく執拗に、飴玉を転がすようになぶられれば、やわらかく窪んでいた桃色が硬さを帯びてくる。出るはずのない乳を乞うようにじゅううと吸いつかれ、あまく呻いた。声を出せば出した分だけ弟は勢いづき、股をすりつけて腰を振る。まだ下着がまとわりつくも、黒々とした茂みの生え際にふっくらとした腹の毛がこすれた。硬く尖った屹立が親しんだ穴を目指して下着越しに繰り返し押し当てられる。弟の先走りで氷室の下着は夢精したようにぬるぬると熱く濡れた。
「たーいーが」
 いまにも交わろうと本気になっている弟に釘を刺すため呼んでやれば、氷室の胸板から離れた顔はすっかり虎になっていて。シャツを着た蜜柑色と黒の縞模様の肢体が、ぐるるる、と唸った。三角の耳が興奮しきってふたつともぴこんと立っている。宝石を埋め込んだようにそこだけ紅い瞳がじっとりと欲に濡れて、伺いを立てるように氷室をみつめている。ふかふかの肉球をクッションに、氷室の腹へまるい両手をついていた。爪はもちろん仕舞っている。
 ふすふすと鼻息を立てながらずるずると顔をひっこめて、弟はシャツを脱ぐ。氷室の身体を支えに手をつき、横着をするように頭だけをすぽんと外してしまうのだ。ひとの時と比べて首回りが幾分か太くなっているはずなのに、平気で脱いでしまうのだからにくらしい。ひとりでするものではないのだ。まず相手を伺って自分から服を脱いで、そうしたことから始めれば服に毛がつくこともないだろうに。これでまた弟の服にいくつも毛がついてしまうが、洗濯はどうしているのだろう。洗濯機に猫っ毛が絡んだりしないのだろうか。
 首に下げた指輪が日差しを受けてきらりとひかった。いつも胸元まで垂れる鎖は太くなった首のおかげでちょうどよく収まっていた。
 すっかり虎に戻ってしまった堪え性のない弟にのしかかられて、氷室は眉頭を寄せた。諭すというには聞き分けのない子を叱るように声を出す。
「タイガ、大人げない。二号はお前が張り合う相手じゃないぞ」
 口髭をひくひく揺らして、ぐるるぁと文句をいう。よほど二号が気にかかるのだろう。ありもしないことをひとりで勝手に早とちりをして。弟に妬かれるのはこそばゆいが、見当違いもほどがある。
「お前の犬嫌いは昔からだが、すこしはどうにかならないのか? 部で犬を飼っていると聞いて、マシになったかと思えばこれだ。あのなあ、二号が俺を娶るわけないだろう。それは、まあ……交尾の申し出はされかけたけど」
 控えめに伝えた事実は弟の寝耳に水だったようで。目をかっと開けると牙を剥いてがおおと吠えた。氷室の腹に乗せた脚には力がこもり、飛び出た爪を立てられる。あんまりな物言いに「馬鹿かお前!」と非難するも弟には聞こえていない様子。吊り上がったルビーのような瞳がここにはいない彼へ向けて明々と燃え盛っている。弟の勝手な振る舞いに氷室も負けじと声を張り上げた。
「誰が孕むか! そもそもお前が俺に匂いをすりつけるから当てられて……。はあ……あのなあ、孕むにしたってお前くらいの格じゃないと無理なのを知っているだろう。ただの戯れだ、タイガがいる限りしないから安心しろ」
 狭い額から頭を梳かすように撫で、くすぐるように喉へ触れれば弟は眦を下げてとろんと夢見心地に頬をゆるめた。腕を伸ばして尾のつけ根より前の背もいっしょにあやしてやれば、たちまち耳をぺたんと下げ、氷室の腹の上で香箱を組む。髭もたらんと垂れて背をまるめた弟に獰猛な肉食獣の面影はどこにもない。尻尾をぱたぱた揺らすと、ふぐうと鼻を鳴らす。そうして氷室のうすい腹をセーターのように揉もうとした。すっかり落ち着いた弟にやれやれと息をついたのも束の間、惚けた表情で、ぐぅ……ごるぅるぁなどと我を通そうとするのだからふかふかの毛皮をあやす手もぴたりと止まる。氷室は弟のしろくろな腹を思い切りつねってやりたくなった。
「タイガお前……ああもうわかったわかった……すきにしろ……! ウインターカップが終わってから、してばかりじゃないか……」
 ごるる、があと耳をひょこひょこ、弟はいじけるようにつぶやいて、臍より上をぺたぺたと前脚で叩いた。年下の特権とばかりに腹の上からつぶらなまなざしを注がれ、ふつうであればぐっと揺らぐところであろう。だが、明るく燃える瞳が物欲しげにらんらんとひかっていることに気のつかない氷室ではない。どこで覚えてきたのか、そうしたあざとい態度で誘う弟に抑えていた本音が爆発する。いつだって弟は氷室にはできないことを簡単にしてしまうのだ。それなのに弟ときたら氷室の気持ちも考えず、俺が俺も俺がと勢いづく。
 そうしたところが弟のかわいいところだとちゃあんとわかっているのだけど。
「っ、ばか、このばか! いいか、俺だってしたくてたまらないんだ。二年もしてなかったんだ、二年も! お前がやりたいのに俺がしたくないわけないだろう!」 
 怒鳴りつければ巨体はがおとひときわ大きく吠えて、待っていましたとばかりにごろごろ頭をすりつけた。のしかかるように前足を胸元へつくも、爪はしっかり仕舞われていて肉球の厚みだけがぽてんと伝わる。氷室は弟を抱くようにして首を撫でてやった。
「こわくて、たまらなかったんだぞ……お前にどう思われているか、お前がどうしていきたいのか。やっとお前と一緒に、なんのわだかまりもなくいれるんだと思ったらうれしくて……それなのにお前はがうがう盛るばっかりで寝かせてくれないし、ようやく枕に頭をつけたら大晦日から夜通し年寄りの会合に呼ばれるし、世話になるからこのあたりの挨拶だけ済まそうと外に出ればお前は初詣……」
 そう言えば、ぐるぅる……と身体をちぢこませて、弟はすっかりしょげてしまった。感情の変化をわかりやすく外に出すのは、ひとのときもこちらのときも変わらない。氷室はくしゃっと頬を寄せて笑いながら喉をくすぐってやった。
「反省しているのか、えらいぞ。成長したな」
 くすくすわらいながら顎に額をすり寄せれば、あまえるように、がう、ぐううと氷室を窺う。
「あはは、そうへこむなって。怒っちゃいない、あんまりにもお前が見当はずれなことばかり言うから、参ってしまったんだ。お前ときもちは変わらない。大好きだよ、タイガ」
 がる! 素直によろこび、ぴこぴこと尻尾を振る弟の喉元に目をとじてくちづけた。あたたかいほこほこの毛がくちびるに当たり、つむじに髭がすれてこそばゆかったが、それがうれしくてたまらなかった。抱きつくようにぎゅうと首に両手を伸ばして、毛皮のなかでうなずく。
「いいよ、いっぱいしよう。もう邪魔が入ることなんてないだろうし」
 一個の愛するべき巨大な獣となった弟のどこまでも続く背を撫でていると、指先に鎖がからむ。そういえば弟は首にかけた鎖をのこしてすっかり脱いでしまっていることに気がついた。シャツはさっき自分で脱いだからよいとしても、先に変わった臍から下を考えると弟の行動に感心した。もちろん、後先考えない威勢のよさにあきれてもいる。
「タイガお前……上は脱がなかったくせに下は脱いでいたのか。そういうことだけ準備がいいのは変わらないな……」
 くちゃくちゃに皺の寄ったシャツをうんしょと首から外せば、すぐに火神が抱き着いてきた。ここ二日でいやというほどわかっているのに、氷室の背を越える身体に離れていた月日を思ってしまう。
「大きくなったな。たった二年しか離れていないのに、もうすっかり大人じゃないか」
 望んでいないのに涙がこぼれそうで、悟られないよう毛皮に顔を埋めた。火神もこうしたきもちになったのだろうか。過去として通り過ぎてしまったいくばくかの空白に、己の愚かさを噛みしめて。氷室は遠く目を細めた。いいや、愚かであったのは氷室ただひとりだ。ひかりかがやいていく原石に焦がれ、ねたみ、ふくれあがっていく自分の気持ちにひとり蹴りをつけようとした。兄弟をやめたところで弟の才能が消えるわけがないのだ。指輪をすてたところで氷室が上達するわけでもないのだ。それでもただひとつ、バスケットボールは本当に自分の好きなものであったから、どうしても弟に負けたくなかった。氷室が教えるまでボールのあつかい方もわからなかった、バスケを通して氷室を無邪気に兄と慕う、ほかでもない火神には。
 弟が首をさげて、氷室の顔をむちゃくちゃに舐めてきた。こら、と止めたいはずなのにうまく声が出なかった。ゆっくりとソファに押し倒されるなか、垂れた鎖の先の指輪があたって、またわけもなく泣きたくなった。垂れてきそうな鼻水をすすらないで、どうにかして話しかける。出した声の端がわずかにふるえているその意味を、どうかわからないでいてほしい。
「巻きついても嫌がるなよ? さて、鬼が出るか蛇が出るか……鬼だったら部屋の修繕頼むな。なあに、ほんのちょっと窓を吹き飛ばすだけさ」
 獣は嬉しそうに目を細めてごろごろと喉を鳴らす。濡れてしめった鼻先をあまえるように頬へすりつけた。髭がひっかかってくすぐったい。
「下を脱ぐから待ってろ。お前にひっかかれて破けたら、買いに行かないといけないからな。うん? 俺よりウエスト広いじゃないか……まあ、そうだな、お前がそういうなら穿いてやってもいいが。お前の穿くものがなくなるんじゃないのか?」
 ごる、と誇らしげに威張るので笑みがこぼれた。ああいえばこういう、ではないが、まったく口が減らない。それなのに耳がぺたんと下がって尻尾は垂れているのに気がついて、たまらず抱き着いてやった。くっついた黒い鼻は湿ってあたたかかった。
「……心配するな。冬休みが終わってもずっと一緒にいてやるよ。夜に迎えに来てやるから」
 膝下でくずれたままのズボンを脚だけで放り投げる。役に立たない下着を膝を曲げてずるりと下げれば、脱ぎ終わらないうちに火神が身体をひっこめて尻を舐めだした。濡れた鼻先が袋の下をぺちぺちとこする。やりやすいようにと広げた脚の先は与えられる愛撫にはやくもひくひくと震えはじめる。
「ひゃ……ん、した、そこ、い……」
 恥じらうようにきゅっとすぼめた穴の縁をざらざらとした舌で撫でられて身体の奥がぞくぞくする。舌先は探るように窄まりのくちを開き、ろくに寝せてもらえないまま穿たれ続けたそこはあっけなく弟を迎え入れた。ミルクを飲むように縁から奥へ舌を動かされ、腹が快楽のためにこわばった。息継ぎをするようにあまく爛れた声がもれる。
「は、あ、あ……」
 ウインターカップが終わってからの二日は夢中で何をしたのか覚えていない。まだ意識のあるうちに身体をひらくと、こうも深くまで舌を突き入れられたものかと考えてしまう。
 額の毛が下腹に当たり、弟にしかできない愛撫にすこしずつ翻弄されていく。待ち焦がれていたふたりだけの時間に氷室の屹立は硬さを持ち始めていて、誘われるように剥けたそれを手で扱いた。穴が応じるように締まって、それだけでため息が出てしまう。弟に愛でられながら自分のものをいじるのはきもちよく、すぐに手の内で濡れた音がくちくちと響きだした。
「タイガのも……」
 ぼうっと惚けだしたまなざしの求めるまま、耳の裏を撫でてやる。脚の間から顔をあげさせ、互いにさかさまになるよう向きを変えさせた。一度床におりた脚がふたたび氷室の顔を挟むようにソファへ飛び乗る。目の前に突き付けられた茜の陰茎に氷室は思わず唾を呑みこんだ。
 むかしとは比べ物にならないほど太く、長い。握れば棘の部分が仙人掌のようにちくちくと肌をひっかいて、それだけでどきどきと胸が高まった。肉でできた針のように先端に向けて細くなる猫科の陰茎。一昨日の夜を思い出してたまらずかあっと顔が熱くなった。耳の先までどくんどくんと鼓動がうるさいほど。しろくろの毛からひょんとつき出た赤っぽい粘膜のそれがアンバランスで、またそれに突かれるのだと思うといつまでも唾があふれた。
「こっちもオトナだな……当たり前か」
 自分のものにするように手でこすりながら背を撫でると、それがいいのかきもちよさそうに声をあげる。根元がぴくっぴくっと脈打って、氷室の手のなかで硬さを増した。
 まだ日の高い元旦の午後。窓から差す明かりだけでどこもかしこも見渡せる。ざらついた舌で洗われてその先を望む氷室の物欲しげな穴と、蜜をあふれさせながら硬くしなったはしたない雄。それらが弟の眼前にあからさまに晒されているのだと思うと、羞恥は快楽となって背骨から染み出ていった。焦がれる思いだけで瞳は熱く潤む。 
「くちでしてやるから、俺のも……な?」
 ふたたびざらついた舌が穴を目指してじゅるりと音を立てる。氷室はすっかり変わってしまった弟の雄をためらいなく口に迎えた。一本一本がミシン針のような、太く鋭い棘がちくちくと舌に、頬の内側に刺さってこすれる。ふつうの動物であれば口内の粘膜をずたずたに裂かれるであろう代物も氷室にはアクセントにしかならなかった。これで傷つくような粘膜を持ち合わせていたならば、はじめから弟と身体をつなげようとは思わない。
 精通を果たす前、子猫のような撫子色の芽をおっかなびっくりふるわせていたころから弟のものには慣れ親しんできたのだ。いまさら陰茎棘ごときに怯む氷室ではない。見る者によっては凶器に映るそれは愛でるべき弟の雄以外の何物でもなかった。
 弟の舌が穴を溶かすように舐めている。そのたびに腿の内側を揺らし、氷室の雄はひとりでに昂ぶった。弟の、しとどに濡れたなまぬるい先走りを飴のように舐め、自分の唾液と絡めて飲み干す。舌先で棘の生えた下地を丁寧になぞり、乞うようにじゅうじゅうと吸った。棘の生えていない皮から先をくちびるで扱くために喉奥まで迎え入れれば、勢いづいたのか火神は急に腰を振り始めた。太く育ったそれを喉の奥へと何度も強く打ち付けられる。
 口を生殖器のようにして本気で穿ってくるのだから、身体はがくがくと揺れ、左に寄せた前髪が散る。喉の奥まで綿を詰められたように言葉にならない声を出しつつ耐えていれば、根元がどくんと波打って口のなかで迸った。ろくに息ができないなか、口内にたまる苦さを味わいながらゆっくりと嚥下する。一滴残らず出し切ったそれが口のなかから抜けると、たまらず氷室は噎せだした。背を震わせ、喘ぐように息を吸う。
「が、げほっ、ぐ……はっ、はあ……は」
 苦しさから視界は歪み、ぼろぼろと涙をこぼしていた。氷室の唾液に濡れた先端から、思い出したように白いしずくがとろりと垂れてくる。いまにもソファへ白く散りそうなそれを舌を伸ばして受け取ると、鼻水をすすりながら弟の雄を拭った。ちゅうちゅうと吸っていると弟は離れてソファを降り、氷室の口の周りを舐めはじめる。気遣うように眉をさげて、ぐるぅと鳴いた。
「だいじょうぶ、だから……ちょっと、驚いただけ」
 安心させるように顔をほころばせながら、吸っていた弟の残滓を舌で味わう。青くさくこってりとした若い雄の精。あまりにも濃いそれはいつまでも舌に残り、胃のなかでたぷたぷと揺れている。流し落としたはずであるのに、まだ喉のあたりで粘ついている。
 口にくわえ、精を受けただけだというのに氷室の腰はすっかり惚けてしまっていた。めまいがするほどの若々しい雄の匂いに、身体はあぶくだって爪先まで痺れている。これなら―――あてられるのは当然だ。誰でも腰を振って穿たれようと望むだろう。むしろよく二号は耐えたものだと、改めて感心した。―――けれど、あのとき俺はこんな匂いをしていただろうか。
 まともに物を考えたのはここまでで、熱に浮かされたように息を吐いた。尻の穴が欲しくてたまらないとひくついて煩わしい。ほころんだそこで熱を帯びた蜜が飴湯のように満ちているのをわかっていた。このまま入れられてしまったら、いったい氷室はどうなってしまうのだろう。
 具合を確かめるために、自分で指を入れて探ることにした。中指と人差指、ふたつを突き立ててもやすやすと呑み込んだそこ。ずぶずぶと根元まで差し込めば思っていたよりもとろけていて、なかで折り曲げれば痺れるような好さに身体をくの字に縮めた。薬指も交ぜてぐちぐちといじっても痛みはなく、肉を伝って指が蜜で濡れていく。穴をひろげる指とその縁を火神が物欲しげにぺちゃぺちゃと音を立てて舐めた。なんだかそれすらも好くて、氷室はひとりで身体の熱を昂ぶらせる。
「ん……待ってろ、すぐ済むから……」
 ワインのコルクを外すように指を抜こうとすれば、逃さぬように肉がひたひたと絡みつく。指で感じる自分の身体に氷室は目をぱちぱちと瞬かせた。間違いなく弟は楽しめるだろう。だが、二日前―――誠凛の優勝で終えたウインターカップが過ぎるまで、氷室はかたくなに誰とも身体をつなげなかった。弟のほかにするつもりも許すつもりもなかったからだ。仲違いをおさめ、ようやく床を共にしたのは大晦日の前日から。それも、一晩とそれに続く朝までだ。
 それがいまや、肉の悦びに身体は馴染み、心もまた愛する者の熱に溺れ果ててしまっている。空白の歳月を設ける前もこうであったかなど、氷室には判断のつかないことだった。
 考え出せばどこまでもまとまりがつかなくなる。結論を出したいわけでも出す必要もないのだ。それにもう氷室ひとりで思うことではない。ふたりで過ごすこれからはふたりで考えていけばいい。
 氷室は身体を起こすと、うつ伏せになって尻を掲げた。首にかけた鎖が指輪に沿って下に垂れる。みずみずしい双丘を向けて、あまく誘った。準備ならとうに済んでいる。
「ほらタイガ……好きなだけしていいぞ」
 床に降りた方がやりやすかっただろうかと憂いが頭をかすめたのも束の間、ゆるしを得た火神はがおおと吠えた。喜色をあらわにソファへ飛び乗り、膝をついた氷室の背へ覆いかぶさる。ほころんだ窄まりへ猛った雄をぺちぺちと当てると、ひと息にずぶりと差し込んだ。指とは比べ物にならない圧倒的な質量がみちみちと氷室のそこを押し拡げる。
「アっ……!」
 突き入れられたそれだけで背がぴんと張った。ソファについた腕がいまにも崩れ落ちてしまいそうなくらい、細かにふるえる。あたまの奥が興奮でわなないた。
 どうしようどうしようとそれだけで埋め尽くされている意識のなか、弟が動き出した。肩につけた前脚に体重を乗せ、全身を使って腰を振る。ずいぶんな密度のそれが躊躇いなくなかをこすり、奥へ奥へと突き進む。いくつも生えた棘がちくちくと刺さり、そのまま粘膜をえぐるように前後に動くのがきもちよくて、叫ぶように喘いだ。
 弛緩したくちびるから涎が垂れる。午後の日差しを受けながら弟と交わるなんて。間近に迫るソファの黒さが、くちゃくちゃと寄った革の皺が陰影を伴ってはっきりとわかることが、増して劣情をそそった。太く、ずくずくと粘膜を刺激する弟の雄が氷室のなかを掻き分け、欲の赴くままに突き上げる。
「ヒっ、あ、たいが、これ、これぇ……っ、いい、すごくいぃ……!」
 ひとまえでは口にできないことばをねだる様に繰り返した。肩に置かれた両脚で爪を立てられる。肌を刺すそれすらよくて、縋るようにソファの生地をつまんだ。
 むきだしの下肢に体温の高いしなやかな脚があてられ、離れることのない厚い毛に氷室の肌から噴き出た汗が吸い込まれていく。情事にしては激しい物音があられもなく鼓膜をさいなみ、わけもなく急き立てられた。ぐちゅんぐちゅんとつながったところから漏れるそれを耳にしているだけで、放ったままの屹立がぴくぴくと頭を揺らした。
 膝をつき腰を掲げ、後ろから弟の雄に穿たれると、自分が弟とおなじ四足の獣になったような気分になる。雰囲気に酔っているだけとわかっていながら、氷室は夢中で弟の名を呼んだ。ここで悦ばずにどこでよろこべというのだ。
「たいがぁ、いい、きもちぃよお、たいが、しゅき……らいしゅき、たいっ、あ、あぁ、あ!」
 がううとひときわ鋭く吠えた弟が、氷室のうなじをがぶりと噛んだ。首を絞められたようにひゅっと息が詰まる。声を出せないなか、開ききったくちびるは母音のかたちに喘ぎ続けた。
 果てが近いことを示す弟の仕草。牙が肉を貫き血が滲むなか、勢いを増して内側を貫かれ、あたまがぐちゃぐちゃになりそうだ。前の晩よりも激しい弟の情交に二号の影がちらついた。自分だけの兄に我が物顔で抱かれたのが、よほど気に入らなかったのだろう。いつまでたっても、いくら身体が大きくなっても、弟のやきもちやきな性分はかわらない。
 突き入れられた根元が膨らんで、びくんと揺れた。求められるままに締めつければ高らかな咆哮が居間に響いた。極まったように貫かれ、えぐるように拓かれた奥で、腰を振って弟が弾ける。茹だった湯のような多量の種を流し込まれて、たまらず声をあげた。噛まれたままの首がじりっと痛んだ。
「んっ、も、あ、ぁああ、イっ……あ、あ!」
 硬い弟の雄のすべてを感じるように、きつく締めつけながら氷室も果てた。どくどくと注がれる子種が下腹に広がっていく。弟がぶるっと身を震わせた。
 火神の熱が移ったようにふつふつと滾るそこ。どことなく膨らんだように思う下腹に揺蕩いながら、氷室はソファに崩れこんだ。べしゃりとうつぶせになった氷室の背を弟の前脚がふみふみと押している。
 入ったままの屹立は硬く、熱を持っている。一度の性行で勢いづくと二度、三度とくりかえす弟の癖を知っているので、氷室はあえてそのままにした。胸を浅く上下させ、肩で息をしていると弟が退いていった。そうして自由になった身体でぐるると喉を鳴らし、寝そべったままの氷室を尋ねた。氷室を見下ろす弟の顔があんまりにも気遣わしいものだったから、ふっと息を吐いて顎の下をくすぐってやった。
 蜜柑色と黒の毛皮をさする、鋭く尖った爪の三つ脚の指。灰青と紺鼠の、深い沼を思わせる鱗が細く伸びた脚を覆い、昼のひかりを受けてふくざつに瞬いている。氷室はそれが自分の手であることを思い出して、ああと力を抜いた。気がつけば脊柱がばらばらになったように首から胴にかけてがぬるりと伸びて、五本指であった手と足は完全に爬虫類のそれであった。弟と違ってふくらみのない尻尾を気分よくぱたぱたと揺らしている。
 氷室は自分の身体がまだソファからはみでる程度で済んでいることに、ほうっと息をついた。どうやら爪もソファを破いてはいないようだ。氷室は寝返りを打って火神と向き合った。弟をあやしながら自分の額に手を当てて。
「あぶなかった……おあしがある方だ。部屋が傷つかなくてよかったな、タイガ」
 そんなことはどうでもいいと、弟はぐるぐる喉を鳴らして額をすりすり、氷室の胸元へすりつけてくる。もう氷室が傷つくことはないと、弟が腹に乗った。波打つ毛皮を抱き寄せて頬をなでてやりながら、言い分に耳を傾ける。弟の言うことは、どうにもいちいち愛らしい。
「ん……それは俺もだ。一晩中しないと気が済まない。どうする?」
 わかっているだろうと片目をつむってやった。はっと尻尾を上げた弟は首を振って窓の外を窺い、それからいじけるように爪で氷室の腹をひっかいた。ぐるる……と夕焼けには遠い日差しに、どうにもならないと駄々をこねる。
「はは、そうしょげるなって。そうだな、冬至は過ぎてしまったがまだ夜は近く長い。日が沈んで月が出たら、雲の上で思いきりしようか。次の逢瀬まで、お前を芯まで刻みつけて帰らせてくれ。……新月じゃなくたってかまいやしないさ。年の初めからおめでたいものが見れて、いい幸先だろう?」
 ぺきぺきと膝下から二の腕から、瑠璃の砕けるような音が静かに部屋を満たしていく。腹の上でもたれた弟をあやしながら、暮れていく景色をぼんやりと眺めた。いまごろ二号はおいしいものにありつけているだろうか。弟は二号に妬いていたけれど、そのおかげで氷室はこうして弟をひとりじめすることができた。秋田に帰る前に手土産でも持って顔を見てやらなくては。
 広い部屋でとぐろを巻くようにして、できるだけ物が傷つかないよう身体をのばす。それでも結局窓をはずしてしまうと思いながら、長くのびた髭を揺らした。

氷室は総排泄腔持ちなので濡れるし孕むよ

(2016/1/25)
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