また会えるかな



 ねえタイガ覚えてる? マンハッタンで迎えた十二月二十六日のこと。

 あのとき僕は六年生だったから、タイガが五年生のときの冬休みだ。あの冬、お父さんが仕事で日本に戻らなくちゃいけなくなって、僕はお母さんとふたりきりのクリスマスになるはずだった。そこを、タイガのお父さんがニューヨークにつれてってくれたんだよね。時期柄、はんぶん仕事、はんぶん休暇の旅行だったから、僕を連れていくのは訳がないってタイガのお父さんはいってくれた。僕らは家族ぐるみで付き合いがあったし、何より僕たちはいつでもどこでも四六時中、それこそクリームを挟んだビスケットみたいにくっついていたから、僕の両親は遠慮がちではあったけどタイガのお父さんの提案に乗った。僕の両親はタイガのお父さんの代わりをするみたいに僕らをいろんなところへ連れてったから、そのお礼もあったんだと思う。
 だんだん近づいてくる出発の日に向けて、僕はお母さんに手伝ってもらいながらトランクに荷物を詰めていった。飛行機に乗るのは初めてじゃなかったけど、お父さんお母さん抜きでどこか遠くへ行くのははじめてだ。だからお母さんは迷惑にならないように、何かがあってもひとりで済ませられるようにって持って行くものをあれこれ並べてはトランクからあふれさせた。僕がひとりで動かすには大きいトランクだったのにね。お母さんは最後、テトリスするみたいに押し込んでむりやりジッパーを閉めたっけ。だから僕は本を一冊しか持っていけなかった。
 十一月のカレンダーが破られたときから僕はそわそわ落ち着かなった。ちいさなお菓子やおもちゃの隠れたアドベントカレンダーを決まりを守って一日ずつちゃんと開ける方が楽だったかも。お父さんかお母さんか、だれかがいるならどこに行ったって平気だけど今回のクリスマスはそうじゃない。いつもと違って僕がタイガにくっついていくことになる。初めて行く場所でも迷子にならないように、僕はニューヨークのガイドブックをおこづかいで買って、地図を覚えた。冷蔵庫に張ってあった日程や宿泊地なんかのコピーをとって、ガイドブックの地図とにらめっこしたっけ。泊まる家はどこにあるの? ずっと行ってみたかったマディソン・スクエア・ガーデンは? ティラノサウルスの化石があるアメリカ自然史博物館は? ニューイヤーを迎えるタイムズ・スクエアは? ってマーカーであちこち書き込んだ。テレビでは車で行って帰ってこれる近所みたいにたくさんのことを流してたけど、ガイドブックを読むまで僕はマンハッタンのことをなんにも知らなかった。知ってるだけの場所が写真つきでたくさん載ってて、ガイドブックを読むのは楽しかったな。クリスマスにここに行くんだって思うと、恐れよりも楽しみが強くなった。
 タイガとタイガのお父さんと僕の三人きり。クリスマスにニューヨークへ行くなんて、ホームアローンみたい! 僕ひとりだけニューヨークに着いちゃうのはいやだけど。
 出発の日はタイガのお父さんがタクシーで迎えに来た。お母さんはタイガのお父さんに頭を下げて、僕の大きな荷物をドライバーに預けた。お母さんはいつもと違ってよそ行きの格好をしていたっけ。とうとう家にお母さんひとりきりになってしまうから、クリスマスは日本でお父さんと過ごすことになったんだ。僕が家を出たあと、お母さんも空港へ行ったはずだ。
 いっしょの後部座席に座った僕らは、馬鹿みたいにちょっとしたことでくすくす笑って、くだらないことで盛り上がったね。やっぱりタイガの目は真っ赤だったから、空港に着くまでの間、僕が目薬を入れてあげたの、まだ覚えてる? 僕の膝に頭をごろんと乗っけて、目をぱちぱちしながら目薬がおちてくるのを待っていたね。昨日ぜんぜん眠れなかったのか、タイガの目の白い部分は赤カブの根が張ったみたいに本当に真っ赤で、見ている僕のほうが痛くなってしまうくらいだったんだけど、でも、タイガの大きな目が涙でぬるぬると光っていたのを見るのはすきだった。なんだかタイガがまるごとてのひらに入れてしまえるくらい小さく見えたんだ。そんなことないのにね。
 ニューヨークは寒いから、風邪を引かないように暖かくしなさい。こっちとは違うのよ。お母さんにくちすっぱく言われてたことが、空港を出たときにわかったんだ。僕らは気の早いサンタクロースみたいに厚い冬のコートを着込んでいたけど、びっくりするほど寒かったね! 席のモニターでも出ていたけど、あの日の気温は二十七度! 氷点下なんて僕には初めてのことだったから、水が凍っちゃうんじゃないかってドキドキした。そうならないことはわかっていたよ、でなきゃ生活できないし―――でも僕は、空港に降りた飛行機の窓から見える、粉砂糖を振りかけたように一面まっしろな景色に興奮して、タイガの肩越しに息をのんだ。タイガはすぐ横に僕がいるのに「タツヤ、タツヤ!」って僕を呼んで大きな声ではしゃいだ。だから僕は窓の外の景色をさも当たり前のことみたいに放って、「タイガ、声を小さくして。周りの人の迷惑になるから」って注意した。僕も「すごい! 雪で真っ白だよ、タイガ!」って言いたかったのに。
 僕には治らない癖があって、それはタイガが大きな声で喜んだり悲しんだりすると、つい周りを気にしてしまうことだった。いっしょになってはしゃいでしまいたいのに、体いっぱい思いのまま感情を表に出すタイガを前にすると、つい引っ込めてしまう。ううん、タイガがいたからじゃない、これはもとからなんだ。僕は自分よりも気ままに振る舞う人を前にすると何にもできなくなってしまう。だから周りによく勘違いされた。物静かで感情の起伏がすくない、冷静な人間だって。タイガも、僕のことそう思ってたよね。
 僕らは迎えに来た車に乗って、まずは荷物を置くことにした。マンハッタンのあちこちへ行くのは身軽になってからじゃないと。空港で僕らを迎えたタイガのお父さんの部下は、女の人だった。タイガのお父さんと同じくらいの歳の、優しそうなきれいな人で、握手をするとリンゴの匂いのするコロンが香った。その人はこっちで働いているので、ニューヨークの案内もしてくれると言ってくれた。迎えに来た人は彼女ひとりだけだった。僕はもしかしたらって思ったけど、そんなことはないって、考えたことをすぐに打ち消そうとした。タイガは飛行機でのはしゃぎようが嘘みたいにおとなしくなってしまって、まるで僕がタイガのお父さんの子供のように明るく話の相づちを打った。
 タイガのお父さんはよくやった方だと思う。一週間あまりの滞在のうち、上手に休みをつくって僕らに付き合ってくれた。僕とタイガは行きたいところのリストを作っていて、タイガのお父さんと彼女はそのほとんどに連れて行ってくれたんじゃなかったかな。
 どこに行くんでもその人はついてきて、街を案内してくれるんだから当たり前なんだけど、タイガとタイガのお父さんが僕の三人でいられたのは、ロックフェラーセンターの、ビルに囲まれたスケートリンクでクリスマスツリーを見ながらスケートしたときと、イヴにマディソン・スクエア・ガーデンでニックスとペイサーズの試合を見たときと、寝る前にベッドでおやすみのキスをするときだけだった。だから僕は、タイガといっしょに来てよかったって思ったんだ。だって、タイガひとりきりじゃ、とてもじゃないけど七日間もやっていけない。
 クリスマスの朝、僕たちはたくさんのプレゼントをもらったね。タイガと僕のもらったプレゼントの数は同じで、僕はそれが無性に悲しかったんだ。いろとりどりの電球とてっぺんのスターと、たくさんの飾りでぴかぴか光るツリーの下には僕の両親からのプレゼントもあった。タイガのお父さんが借りてるフラットの住所を知っていたから、あらかじめ送っていたんだろう。包み紙をすきなように破いて中身を出すタイガの隣で、僕は時間をかけてサンタクロースからのプレゼントを開いた。僕は体のどこかをくっつけて、タイガから離れなかった。ちょうど同じ数になるように揃えられたプレゼントの包みは、つなぎ目を合わせたらきっとぴったり重なったよね。
 僕らはもう六年生と五年生だったのに、あのときの僕たちときたらまるで小さな子供みたいに手をつないだ。あんまりにも手をつなぎすぎたものだから、帰ってきた空港で手の離し方を忘れてぐずぐずした。僕は久しぶりにお父さんを前にしたのに、タイガと手をつないだままだったから抱きつけなかった。そんな僕らを何も知らない僕の両親はすっかりなかよくなって、とか言ってほほえましそうにしていた。
 ねえタイガ、僕らは確かにあのとき、僕らふたりだけだった気がするんだ。君をコートに誘ってから、僕がミドルスクールに上がるまで。僕にもタイガにも友達はいたし、家族だってアレックスだっていたけどね、それでも僕らはたったふたりきりだった。実はね六年生になったばかりの時に、僕はあることにぶつかってすごく辛くて悩んだんだけど、それでも僕は君のことが好きだった。


 ほんとうに、だいすきだったんだ。ずっと、いっしょにいたかった。

 ほんとだよ。


 クリスマスが終わった次の日、目が覚めたら街は雪に埋もれてたの、覚えてる? タイガのお父さんは早々に仕事でいなくなってしまっていたから、僕らは彼女が作ってくれたご飯を食べた。彼女はまるで僕らのお母さんみたいに本当にやさしくしてくれた。僕たちは窓の外に広がるふかふかの雪にがまんできなくなって、大急ぎで支度を済ませると家の前で雪遊びをしたね。
 フラットはウェストヴィレッジに面していてさ、ドアを開けると足跡ひとつついていない真っ白な雪でいっぱい! 僕らはどちらが先に階段に足跡をつけるかでじゃんけんをして、勝った僕が一段だけ、片足ぶんの足跡をつけた。でも、ふわっと沈むみたいにやわらかい雪を踏むと急にひとりでするのはつまらなくなって、タイガの手を引いてふたりで一歩ずつ階段を降りていった。滑らないように手すりを握ったらそこに積もった雪が手袋にだんだん積み重なっていって、それだけで僕らは恐竜のあかちゃんみたいに叫んだ。
 家の前のふかふかの雪を前にして僕らは何をするか考えた。

「雪だるま作ろう?」
「やろう!」

 どちらが言い出したか思い出せないんだけど、それで僕らは雪だるまを作りだした。もう一度じゃんけんをして、僕が体でタイガが頭を作ることにした。したことはなかったけど作り方は知っていたから、僕が雪だるまの作り方をみせて、タイガはその通りに雪玉を大きくしていった。手で触ったらすぐに溶けるのにかたまりになると重くなって、タイガってば夢中で雪玉を転がしたものだから頭の部分が大きくなってしまって、いざ頭と体をくっつけようってときにあべこべになっちゃって。しかたないからふたりで体をもっともっと大きくした。ふたりで転がした玉はあのとき僕らの腰ぐらいまであった気がしたけど、ほんとうは小さかったのかも。大きくなった雪玉は重くて、ちょっと動かすのも一苦労になったよね。雪が重いってこと、僕はあのとき知ったんだ。
 大きな頭を体に乗せるのも大変だった。ひとりじゃできなかったから、ふたりがかりでどうにかして持ち上げたよね。そしたら持ったところで欠けちゃって、わーとかぎゃーとか叫びながら直したっけ。僕らあのとき外にいたのに体中あつくって、そのくせ頬はつめたくって、頭は弾けたポップコーンの鍋みたいにはちゃめちゃで、ともかく楽しかったことしか覚えてない。僕らは雪だるまを飾るために家のドアを開けて、手当たり次第に物をつかむと勢いよく外へ戻っていった。
 本だと鼻ににんじんとか、腕に木の枝なんかを使ってたけど、車の並んだ道路には枝ひとつ落ちてなかった。だから僕らはおたまとフライ返しを雪玉につきさして、それから頭に用済みのサンタクロースの帽子をかぶせた。鼻はチューブの靴墨、目はマグネットだ。
 仕上げにタイガはプレゼントを包んでいたリボンを雪だるまの首にむすんだね。赤い蝶結びが、きれいに首のところで留まっていた。雪だるまにリボンを結ぶなんてどこの本にも載っていなかったから、僕はタイガと、タイガといっしょに作った雪だるまが誇らしかった。なんて素敵なアイデアだろうって。こんな雪だるまを作れるのは僕らだけだって。
 いくら雪でできていても外は真冬のニューヨークだ。手袋をはかせないと寒いから、僕らは片方ずつ手袋を脱いで雪だるまにあげた。雪だるまは僕とタイガのばらばらの手袋をはいてにぎやかだった。僕がグリーンで、タイガがオレンジの手袋だ。
 僕は雪だるまの口を、手袋を脱いだひとさしゆびで作った。ほっぺたの端から端まで、大きな線でにっこり笑っているように。指を雪に埋めるとゆっくり溶けて、僕の熱で口ができた。あんまりにも長い間外にいたものだから、心配した彼女が三人分のホットチョコレートを抱えて玄関から飛び出してくれたよね。僕らは喜んでマグを持って、外で雪だるまを見ながらちょっとずつすすった。
 あの雪だるま、帰ってきたお父さんにほめられたよね。その夜はご飯を食べたらすっかりくたくたになってしまってすぐにベッドに潜り込んだけど、次の日もちゃんと階段のそばに立ってて、確か帰る日まで溶けずに残ってた。表面が溶けてしまったから、かちこちになっていたけれど。鼻や腕はにんじんや木の枝にちゃんと変わってさ。やっぱりおたまを使うのはまずかったみたいだ。あの通りにはたくさんの建物が並んでたけど、雪だるまを作ったのは僕らだけだった。だから僕らは近くまで帰ってくると、すぐに家を見つけることができた。
 ねえタイガ、もうすぐ冬だよ。タイガも知ってるけど、僕のいるところでは冬になると必ず雪が降るんだ。氷点下の外に出るのはすっかり当たり前のことになって、体が寒さに慣れてしまった。ここでは雪よりもヘラジカの方がこわいんだ。タイガにも見せてあげたいな、道路をのしのし我が物顔で歩く彼らときたら、車に乗ってるこっちのことなんてお構いなしなんだから。
 それでね、僕は雪が降るところにいくと必ず雪だるまを作るんだけど、どうやら雪だるまにリボンを結ぶのは僕らだけみたいなんだ。だから最初はへんに思われたよ。なんでそんな余計なものをつけるのかって。でも、ずっとリボンを結んでいたらそのうち何も言われなくなった。リボンを下げてたら僕のつくる雪だるまだって、みんなわかってくれたんだ。いまいる町じゃみんなこれをタツヤの雪だるまっていうけど、僕はそのたびに心の中で訂正してる。これはタイガと僕の雪だるまだって。
 スペシャルな、世界でたったひとつだけの雪だるまなんだ、って。
 タイガと会えたら、いっしょに雪だるまをつくりたいな。今度は僕がリボンを持っていくから、君がむすんでくれる? 僕じゃいつまでたっても、きれいに蝶結びができないんだ。
 雪だるまを作ったらバスケをしよう。バスケをしてからでも、どっちでもいい。きみにあいたい。たくさん、話がしたいんだ。朝から晩までずーっと、話したいことがたくさんあって、きっと一日じゃ終わらないね。
 今から君に会うのが楽しみなんだ。君は氷漬けのコートでも僕とボールを持ってくれるかな。僕はまた、タイガとバスケがしたいんだ。
 またね、タイガ。僕がいくまで、忘れないでまっててね。
 また手紙を書くよ。
 それじゃあ、またね。


 タイガ、だいすきだよ。




 庭に出ると日が陰っていて、あたりは薄暗くなっていた。万年筆を握っていた右手の中指にはふくれたタコができている。薄灰色の暗い空の、雲の流れていく様をながめて、ウッドテーブルに灰皿を置いた。このために用意した灰皿は陶器のまるみに沿って艶があった。椅子に座り、灰皿に糊付けした手紙を置く。風は出ていないので封筒が飛ぶことはなかった。薄い紙の箱からマッチを引き出し、擦過面に赤い頭をこすりつける。きれいに火のついた棒ごと、封筒に落とした。
 厚みを持った封筒に火が広がる様を見届ける。

「また燃やしたの?」

 いつからそこにいたのか、振り返れば孫娘が立っていた。行いを咎めるようにそう言うと、代わりをするように灰皿で燃える手紙へ目を向けている。
 彼女に見つかって、ようやく息ができた気がした。

「見つかっちゃったか。ママにはないしょにしてくれるだろうね?」
「言わないよ。だってわたしとお祖父ちゃんのひみつだもん」

 ちいさなくちびるに人差し指を立てた彼女と同じ姿を見せ合う。時に取り決めたサインは、ことばよりも雄弁に意思の疎通ができる。彼女を前にして唇の端が上がっていた。
 彼女はいつだってこの行為に理由を求めた。彼女なりにちいさな頭を働かせて。

「おじいちゃん、なんでいっつも焼いちゃうの? 切手ないならあげるよ、わたし記念切手いっぱいもってるんだ」
「どこに出したらいいかわからなくてね。宛先が書けないんだ」
「それなら手で渡せばいいのに。わたし、アニタと手紙の交換してるの。学校でわたしっこするのよ、男子にみつかったらとられちゃうから、見つからないように本に挟んで交換してる。貸してあげようか? 『モモ』はだめだけど、『長くつしたのピッピ』ならいいよ」
「ありがとう。いつか、そうさせてもらうよ」

 彼女のふたつに結んだ髪がくずれてしまわないように、きれいに分け目のできた頭へ手のひらを置いた。

「おじいちゃんのひみつを教えてあげようか」

 彼女が頬をもちあげてえくぼをつくり、ちいさな耳を差し出す。こちらの唇とあちらの耳をすっぽり隠してしまうように手のひらで覆ってしまうと、声を潜めた。

「僕のおとうとはね、世界でたったひとつの雪だるまを作る名人なんだ」