ああ! 部屋に部屋に!

氷室:タイガひとすじ 日本に来るまでの間にやることはほとんど済ませた 排泄孔は性器
火神:タツヤひとすじ 日本に来てから穴に困ることはなかった 天性の人誑し
紫原:兄弟の玩具になっていない貴重種
劉:兄弟の玩具になっていない希少種
モブ:氷室からのミーム汚染を受けていることが多い
※クトゥルフ、SCP、洒落怖のネタを含みます



 ノックをせずにその部屋のノブを回したことに気づいて、軽く肝が冷えたがもう遅かった。
「室ちーん買い出し行くの明日でいいんだっけー」
 参考書を開いた机に向かっていた氷室は、遠慮のない物音を立てて来訪した紫原に椅子ごとくるりと振り返った。ライトの点いた机にはノートと筆記用具が置かれている。氷室の丁寧な筆跡で生み出された数式が、罫線に沿って列を組んでいた。
 紫原の背に隠れるようにして連なっていた劉と後輩も姿を現す。みな男子バスケ部の部員だった。劉の隣に並んだ彼は氷室を前にひくりと肩を揺らした。
「郊外の用品店だろう? 部活終わった後行くって日野が言ってた」
 氷室が事もなげに主将の名を口にすれば、それで紫原の用は済む。買い出しの帰りに郊外の大型スーパーへ寄ろうと思っている紫原は、確実に予定が行われることさえわかればそれでよかった。明日は日曜日。午前に部活が終われば、寄り道をする十分な時間はある。
「んーおっけー」
「必要なものまとめておけよ」
「氷室、部室の鍵どこいったか知らんアルか。鍵当番が死んでるアル」
 紫原の用が済んだことを見計らって、劉が傍らの後輩を示す。黒緑の瞳をまるく開いたまま口を開こうとしない彼は、氷室に視線を注いでいた。シャツの裾のあたりに垂れた両手を、落ち着かなく握ったり開いたりを繰り返す。
「まだ生きてるじゃないか。今日は最後まで残ってないからわからないな。鈴木と松田がいたはずだから、そっちに聞いてみたらどうだ」
 俎板に乗せた魚か何かを相手取るように氷室は見知った後輩を一瞥して、薄い笑みさえ浮かべながら同輩に返すものだから、劉は呆れ顔で腕を組む。
「氷室ー比喩アルー」
「そういうものかい?」
「鍵当番ごときでいちいち死んでたら紫原なんかいくつ命あっても足りないアル」
「別にどっかいくだけだし。ちゃんと雅子ちんには返してるし」
「あ、の、氷室先輩、いじってるソレなんですか……」
 劉と紫原が同時に頭を抱えた。四月に入学してきたばかりで氷室辰也に慣れていない後輩は、いとも容易く地雷を踏み抜く。
 椅子に腰掛けた氷室の手に携えられる真朱の偶像。落ち着いた赤色のそれは氷室の指で幾度も揉まれ、柔らかな丈を震わせる。触れれば肌に吸い付くのだと理解できた。まさにその形状を模した性玩具と同じように。
「ああ、タイガの勃起ちんぽだよ。我ながら上手く型が取れてね、気に入っているんだ」
 バキバキに浮いた血管が蔦のように這うそれは、男であれば一目で己の股座についたものと同じ器官だと理解できた。ただ、ペニスと称するにはあまりにも雄々しく、猛々しい。女を犯し孕ませるために特化したそれは、空想上の生き物である鬼やオークの屹立を思わせる。何より長く、何より太く。貫いた肉穴を己の形に変え、穴の持ち主の精神を蹂躙するに値する。それが、理想を詰め込んだ創作ではなく、誠凛高校男子バスケ部エースたる火神大我の持ち物だと、氷室はそう宣うのだ。
 くびれた根元から分厚く膨らむ茎、嵩のある雁首。鍛え上げた男の腕を思わせる凶暴な形状。それを氷室はチンアナゴのぬいぐるみのように擦り、揉み、豪壮な頭をぷらぷらと揺らしては弄ぶ。紫原たちが部屋を訪れる前から小休止として弄っていたそれを、氷室は話を聞く間も継続していた。脂汗で額を濡らした後輩が譫言のように唇を震わす。
「ぼっ、ぼっきちんぽ……」
「タイガは俺の弟なんだけど、あいつは東京でなかなか会えないだろう? なんとなく寂しくてね、タイガ代わり、かな。ほら」
 腰掛けたままの姿勢で見せつけるように背を反らした氷室は、つつけばふるえる火神を己の股座に押し当てて。
「あいつここまで届くんだ。かわいいだろう」
 くっきりと形作られた鈴口のへこみは氷室の臍を隠していた。ワイシャツの襟元から覗く銀の鎖と指輪の片鱗がいやに眩しい。見知った部員の下腹部を両断する悪夢のシルエットは、改めてその凶暴さを露悪的に発揮する。何より、氷室の見せたその姿が何を示しているかなど明瞭だった。服越しであっても、圧倒的な重量が氷室の身体に収まった時の様相は、生々しく脳裏に浮かぶ。
 劉はようやく後輩の腕を掴み、氷室から目を背けさせた。棒立ちのまま、二の句も告げずにいる後輩は小刻みに震え始める。ここが潮時だった。
「氷室俺たち鍵探すアルからまた明日アルー」
「またねー」
 紫原が戸を閉めるやいなや、彼らは足早にかの部屋から遠ざかり、人気のない食堂に着いたところでようやく息を吐く。夕飯の支度が始まる前であったから、調理員もまだ来ていなかった。
 緊張と恐怖のために劉の呼吸は荒くなっていた。茫然自失の後輩の肩を掴み、感情のままに揺さぶる。
「お前死ぬ気アル? 死にたいアル?」
「いやー普通聞かない方がおかしいでしょアレ。むしろ聞く方が正常っていうか、汚染されてないっていうか」
 過呼吸気味に背を揺らし、目を回す後輩の姿に、劉も手を離した。三人の中で耐えがたい衝撃を受けているのは何の免疫もない後輩であるのは明らかだった。彼はうまく繋がらない言葉をどうにかして吐き出していく。
「あ、あれって、あ、誠凛の、火神の」
「もう完全に異形のもの見た人になってんじゃん。SAN値直葬だし」
「窓にちんぽ張り付くアル?」
「完全にギャグでしょ。ていうかあのエグさ夜中に見たくない」
「落ち着くアルー。息を吐いて吸って吐くアルー」
 椅子を引いて座らせてやった後輩の背を劉は繰り返し撫でてやった。たった数刻の逢瀬だったというのに、シャツの背には汗染みがびっしょりと広がっている。劉はため息を吐いた。氷室を含めた彼ら兄弟の犠牲となる部員はこれが初めてではない。
「氷室どうにかしないとダメアル」
「俺にいわれても困るし。なんか解決策あるの?」
「……オナ禁」
「やべーし邪神呼ぶから」
 冗談めかして笑いを含ませるも、紫原が浮かべる普段の軽薄さはどこにもなかった。それが事の深刻さを嫌というほどに感じさせる。
「扱いが完全に洒落怖の見たり聞いたり触ったりしたらいけないやつアル……」
「全然収容できてないSCPオブジェクトみたいな」
 二人の喩えは言い得て妙であり、氷室とその兄弟である火神の非常識な振る舞いさえ無視すれば、基本的にこちらに害はないのである。害というのも、こちらが一方的に負うだけだった。彼らの、あまりに非常識で非日常な言動に、年齢に即した健全な精神が摩耗していくだけで。
 与えられた衝撃があまりに大きかったせいで、感性や価値観を彼らに侵された者や氷室に心酔する者、自身の認識を阻害することで身を守る者などが多数存在する。幸か不幸か、劉と紫原は持ち前の我の強さと図太さが災いして、氷室と接する機会が多い中、未だ自我を保っていた。
「でもまーいいじゃん。室ちんはあたまおかしいけど、火神だけに向いてるからさあ。女の子に向いてたら壊れるまでヤるだろうし孕ませそうだし取っ替え引っ替えしそうだし。絶対そっちのほうがヤバいでしょ。部の風紀にも倫理的にも」
「紫原にそこまで言わせる氷室がヤバい奴って認識は変わらないアルが?」
「ヤバいもなにもKeterじゃん室ちん」
「火神と仲いい間はEuclidじゃないアル?」
「んー議論の余地あり」
 氷室をSCPのオブジェクトクラスに喩えながら話を続ける二人に、ようやく喋られるようになった後輩が致命的な問いを投げかける。それは彼らの関係を知れば至極真っ当な問いであるものの、ゆえに常人の範囲外で生きている彼らには禁句でもあった。
「あ、の……氷室先輩、は、誠凛の、火神、と、おとこ、同士、で、付き合って、いるんですか……?」
 一人は腕を組み、一人はこめかみに手を当て、しかしながら苦悶の表情を浮かべる点だけは共通していた。紫原が日に透ける長髪を煩わしく掻き上げる。
「いやそれがさあ……」
「いやそうアル。そこアル」
「兄弟って覚えとけばいーよ」
「付き合ってるとか本人の前で聞いたらお前は死のみアル」
「もーめんどくさい室ちんはヤだかんね。兄弟もふつーにふつーの兄弟の意味だから」
「きょ、兄弟でセックスはしな……」
「する兄弟もいるってことでしょ!? 話蒸し返すなしほんと疲れる」
「息できるようになってよかったアルね! 鍵探すアルよ、手伝うアル」
 恐れながらも疑問符を浮かべ続ける後輩を無理にねじ伏せ、劉は彼を本来の目的に誘導する。思えばこの後輩が口を挟む前に聞くべき事は聞き終わっていたのだ。
「あーあ。疲れたーおかし食べよー」
 本来の調子を取り戻した紫原は気怠く自室へ足を動かす。思えば、いつもはするノックをせずに部屋を開けてしまったことが、この面倒の端緒だったのかもしれない。
 
 決して部屋が余っているわけではない陽泉男子寮の一階は空き部屋が続いている。中央階段から遠い、一階の端の角部屋。氷室辰也はそこで二年目の夏を迎える。