必ず口をつけなくてはなりません

『幸福な食卓』のつづきのようなつながり
火氷前提の火青で2氷からの黒氷



 火神のマンションを訪ねたはずが、出迎えたのは元相棒だった。
「テツ」
「ようこそ青峰君、待っていました。外は寒いですか?」
「昨日より寒ぃわ。火神に野菜」
 火神の家に行くと伝えるたびに手渡される母親からの手土産を黒子に渡す。
 父親が海外にいる、一人暮らしが長いバスケ仲間と伝えたことが、母親の琴線に触れたに違いなかった。火神が素直に喜ぶので、こちらも悪い気はしない。
「ありがとうございます。火神君に渡しますね。鍋の準備、できてますよ」
「鍋? 夕飯には早くねえか」
 マフラーを外しながら廊下を歩き、見慣れたリビングに向かう。
 黒子の言葉通り、ガラスのテーブルの上にはガスコンロに据えられた鍋と取皿、箸置きに乗せられた一膳分の箸が青峰を待っていた。
 火神が箸置きを使うようになったのはここ一年ほどのことだ。そら豆を思わせる円い陶器のそれ。箸はいつでも黒の漆塗りだった。火神は赤だ。色違いの物を用意されていることに、いつだって小さな独占欲が満たされた。
「よお、青峰! 聞いてると思うけど、それ闇鍋だからな!」
 キッチンで作業をしている火神が青峰に気づき、声を張り上げる。エプロンをしているあたり、今まで鍋の準備をしていたのかもしれない。
 火神から届いたメールは素っ気なく「家来る?」の一行のみ。すぐに「行く」と返して、母親に夕飯はいらないと告げた。
 自分からは連絡ができない癖に、誘われたら二つ返事で答えてしまう。昨年のインターハイからずっと、期待するようになってしまった。
 今日は火神だけではなく黒子もいる。更には鍋を用意されている。青峰は膨れ上がった期待が音を立てて萎むのを感じていた。
「何も聞いてねえよ。何だ闇鍋って」
「あ、僕が説明しますね。青峰君、これは闇鍋です。箸でつまんだ物は何であっても必ず口に入れて飲み干さなければなりません。わかりますね」
「どーいう話だよ。罰ゲームに来たわけじゃねえぞ」
「見て下さい青峰君」
 眉を下げて訝しがる青峰に黒子が鍋を示す。
 黒子の言う通り、鍋に目を凝らせばガスコンロに火が点いていなかった。その代わり鍋の縁に、具材と呼ぶにはあまりにも無機質で大きな機材が取り付けられていた。青峰の家庭では明らかに使用しない調理器具だ。人間の平均的な体温よりやや高めの温度を表示するそれは恐らく起動しているのだろう。
「火ィ、ついてねえぞ」
「そうです。いま、低温調理をしています。火神君がこれだけのためにわざわざ用意した、とっておきの機材なんですよ。低い温度で長時間調理することにより、分厚い肉も柔らかく芯まで熱が通るというのが特徴ですが、今回は人肌の温度で一定にしてあります」
「ぬるいじゃねえか」
「それがいいんですよ! たんぱく質の凝固点を常に下回ることにより、ぬるりとした食感そのままに味わえます。食べ物で遊ぶのが嫌いな火神君が最大限に譲歩した結晶といえるでしょう」
 黒子の熱が入った丹念な説明を聞いても、いまいち要領を得ない。闇鍋というだけでまともな鍋ではないことは間違いないのだろう。鍋を低温調理せずとも食べられることはあらゆる食卓が証明している。
「完ッ全に罰ゲームのノリじゃねえか……何鍋?」
「おつゆは火神君謹製豆乳鍋です。おいしかったです」
「あ、テツも食った」
「はい。おつゆは飲まなくてはいけないと感じたので。しあわせでした」
 不穏な鍋からは熱をまったく感じないが、黒子も口をつけたのであれば問題はないのかもしれない。気にかかることといえば、鍋を口につけたと語る黒子の瞳が、季節限定バニラ増し増しシェイクを啜るときと同じ輝きに満ちているくらいだ。
 さすがに火神であっても黒子の口に入るものに有害なものは入れないはずだろう。
 いつまでも立っているのに気が引けた青峰は、用意された膳の前に腰を下ろした。
「やべえ気しかしねーけど……これ食わねえと帰してくれなさそーだし、食うか……」
 漆塗りの箸を掴んだままぶっきらぼうに食前の挨拶を吐き、鍋に向かう。豆乳と出汁のまろやかな香りが鼻をくすぐる。
 黒子の感想通り汁はまともなのだろう。しかし、豆乳特有の不透明なせいで何が沈んでいるのか検討もつかない。箸をあちらこちらと動かしてみるも、当たるのは柔らかいような弾力があるような、判別のつかないあやふやな感触ばかり。
 肉だとしたら脂身や皮のような。熱を入れすぎた練り物やこんにゃくのようでもある。
 大きさはどれも似通っていて、箸でつまもうとすればつるりと滑る。大根ではないことは確かだった。
 箸に伝わる、鍋の具材から遠い得体の知れなさにうんざりしきった青峰は、覚悟を決めてひとつを摘み上げた。
 食欲をそそる豆乳の匂いをさせて現れたそれは、口を縛った半透明のコンドームだった。
 精液溜まりまでぷっくりと白濁のそれで満たされた、大粒の精液。精液だまりから親指ほどの先までまるまると肥えている。
 ゴム越しでもわかる活きの良さに思わず唾液が溢れていた。ひとりで慰めるしかなかった窄まりが期待にひくつく。自分のための精液でなくとも眩かった。
 こうした馬鹿なことをするのは一人しかいない。いや、いまは二人だ。
 使用済みコンドームを箸で挟んだまま固まる青峰に黒子が場違いな拍手を贈る。その隣にはエプロンを外した火神が間抜けな顔をして座っていた。
「よかったですね。火神君の精液です」
「お、マジ? すげえじゃん」
「良くもクソもねえけどほんと何」
「せっかくだから、ロシアンゲームにしたんです。六発中、五発が火神君でした。やはり火神君は持っていますね」
「言ってもよー、肝心な時にハズレ引くこと多くね?」
「そうでしょうか」
「おいボケども、どうしろってんだ」
 火神の精液を引き当てた青峰ではなく青峰に精液を引き当てられた火神を祝福する黒子と、自然な態度で会話を続けるツッコミ不在の光と影に、青峰は積み上がった不満を吐いた。箸で持ち上げたまま所在なく宙に留め置かれるコンドームは、汁をぽたぽたと鍋に戻している。
「火神君の精液なので好きなだけ飲んでいいですよ。闇鍋ですから」
「飲むわけねえだろ!」
「飲みたくないんですか? 闇鍋では箸に取ったものを食べなくてはいけないんですよ? 精液は飲むだけでいいのに闇鍋のルールを破るんですか? 僕が知っている青峰君はルールを犯す人だったでしょうか?」
 早口ではないくせに相手に有無を言わさない圧迫感を与えられて、言葉に詰まった。
 闇鍋の具材を伝えずに参加させたのは二人であって、いくら何を言われようと青峰が嫌と言って箸を置けばそれで話は終わりだった。二人が勝手に敷いたルールに乗る必要はない。気分を害した二人が誰かに事の顛末を言いふらしたところで、好奇の目で見られるのは当の二人だ。青峰が拒否するのは正当な行為だった。
 
 しかし。
 
 青峰はコンドームを器に下ろした。ひとつも口をつけていない箸を戻し両手を自由にすると、舌打ちしてあぐらを崩す。
 床に手をついて唸りながら天井を仰ぎ、しぶしぶ唇を尖らせてぽつりとつぶやく。
「……一回だけだかんな」
「さすが青峰君。ぜひ味わってください」
 低温と謳うだけあってゴムから熱さは感じなかった。結び目が硬かったので、黒子から鋏を借りて口を切る。以前火神が使っているのを見たキッチン鋏だった。
 ゴム越しに伝わるやわらかなぬくもり。ぬるいというよりは仄かな熱を持っている。行為直後とは異なるそれは、寝入った火神の体温に似ているような気がする。
「……ん」
 喉奥に流し込まず、舌の上で受け止めた。
 温かな豆乳鍋から青臭い雄の匂いが鼻の奥に届く。
 苦味と粘り気。いつまでも口内に残って頬肉を卵子と勘違いしていそうな後味。
 青峰は口内に勃起した火神の性器がないことを心から悔やんだ。
 精液だけではなくて、硬く荒々しい凶暴なあの性器がなければ飲んだ気がしない。
 精液は奉仕とセットで与えられるものであって、精液だけ与えられても意味がなかった。意味を見出だせなくなっていた。そもそも精液だけ与えられたのはこれが初めてではないだろうか。
 唾液とともに嚥下すれば、舌先から喉奥まで火神の残滓で満たされている余韻が続く。
 青峰の瞳は誰も映していなかった。
「完全に雌の顔ですね」
「青峰いつもこんなだぜ」
「もはや僕の知っている青峰君ではなくなってしまったようです。僕の負けです」
「俺は青峰を信じてた」
「悔しい……青峰君の闇鍋を作るために火神君が氷室さんの中に五回吐き出した動画は君にも共有します……」
「隠しカメラ仕掛ける時はちゃんと言えよな。わかりやすかったぜ」
「これが敗北の味ですか………しかし、青峰君が氷室さんのを引き当てなかったことを喜ぶべきなのかもしれません……。引き当てていたら君たちの始終を録画してPooorn hubにアップロードしなくてはなりませんでした」
「顔隠すんならいいけど。さすがに親父驚かせたくねえし」
「大丈夫です。僕、興味ありませんので」
 黒子は真顔で火神の譲歩を退けると、在りし日の情交に思いを馳せる青峰へ矛先を戻した。
 手を打つ乾いた音が青峰の耳へ届く。
「さて青峰君、今度は君がコンドームになる番ですよ」
 頬のすぐそばに萎えた陰茎が突き出された。硬度を持っていなくとも血管が浮き出ている、陰液が染み込んで濃く色づいたそれ。視野の間近に迫ったせいで解像度の低いそれが何であるかを理解した青峰は、すぐに乾いた唇を寄せていた。ベルトを外したジーンズから火神の陰茎が溢れている。
「は、っちゅ、んっ、ちゅ」
 状況の異常さを認識する前に身体が動いていた。
 同じ年齢の男から当然のように与えられた性器を昼間から貪っている。世間の常識に照らし合わせればおかしいのだと理解しているにも関わらず、それで良いのだと何よりも己が肯定している。欲しかったものをやっと与えられたのだから、飛びついて良かった。
 精液だけ味わって満たされるはずがない。いつだって精液は褒美であり、奉仕の後に与えられるものなのだから。こちらの都合をお構いなしに喉奥まで何度も突かれ、火神が達するまで口内を使われなければ釣り合わない。
「すごいですね。青峰君が素直にオナホにならないときのための説得を考えてきたのに無意味でした」 
「青峰と最後にヤったの……一ヶ月前くらい?」
「忙しかったんです?」
「タツヤと会ってた。青峰、すげーうまそうにしゃぶるんだよな。馬に餌やってるみてえ」
 懸命に立ち膝の姿勢で己の股ぐらに顔を埋める男の頭を撫でてやる。火神の陰茎を勃起させることに全力を傾ける青峰が眩しそうに目を細めた。青峰の視線は火神の性器に向いたままだ。
 にわか雨の始まりのように、飲み込みきれずに溢れた涎がぼとぼととフローリングの床に落ちた。早く芯を持たせたくて、やわらかな陰茎をひといきに飲み込み、口内全体で奉仕する。火神のジーンズを両手でつかみ、縋るように頭を動かす。陰茎を口に含んだだけだというのに何も緩めていないパンツのジッパーが内側から持ち上がり、痛くて仕方がない。
 ようやく兆し始めた陰茎を引き抜いて、今度は先端を丹念に舐めていく。自身の手によって己の鼻先まで角度を持った陰茎が誇らしい。雁首の根本から裏の皺、先端の急な曲線に吸い付いては音を立てて啜った。鈴口からぬるい雄の味がし始めている。火神が感じていることが嬉しくて、舌で幾度も先端を舐った。根本が脈打ち、勃起するのにそう時間はかからなかった。
 角度を持った根本に吸い付いて、裏をゆっくりと舌で追いかける。青峰の顔面を一直線に分かつ陰茎に漏れた吐息は濡れている。いつだって伸びの良いそれは先が青峰の額につくほどだった。
 青峰の技量だけで勃起させた独占欲でくらくらする。よく育った陰茎を口内の奥まで咥えようと口を開けば、予告なしに果てまで突かれた。その刹那、青峰が感じたのは困惑ではなく歓喜。己の身体をこの男に思う様消費されることが、青峰の最たる望みになっていた。
 歯が当たらないよう気をつけながら、何度もえずき、吐きそうになる手前で抽出が浅くなる。己の嘔吐前の反応で火神の根本がひくつくのが心地よい。無様な声を上げることももはや気にならなくなっていた。
 嘔吐手前で分泌される粘度の高い唾液をまとった口内を好きなように引っ掻き回される。上顎を頬肉を喉奥を。この身体すべてが火神の性欲の捌け口となることが至上の悦びだった。その事実だけで何度でも達してしまう。
 不規則に脈打っていた全体の抽出が早まり、口内に多量の精液が溢れ出す。最奥まで押し込まれた性器が果てで欲望を出し切ろうともがいていた。
 鼻孔から漏れ出てしまいそうな量に新鮮な雄の匂い。青峰の濡れた瞳は恍惚で震えた。
 吐いてしまっては勿体ないと、嘔吐を欲する身体を抑え込む。引き抜かれる性器に精液がつかないよう、舌先で吸い取った。舌の上でぷるりと濃い精液が揺れる。青峰は鏡がないことを悔やんだ。どれだけ濃いのかこの目で見てみたい欲求に駆られていたのだ。
 いつまでも口内で混ぜっ返していたい精液を名残惜しく飲み干す。鍋で味わったものとは比べ物にならない達成感に満ちている。一度も緩められなかったジッパーの内側で吐き出された幸福が滲みを作っていた。
 役目を終えて火神から手を離す。唾液で濡れるみずみずしい屹立と青峰は対峙していた。これこそが青峰の主人だった。
「青峰、ヤりたい時はお前から言わないとヤらねえからな。前みたいに時間ねえし」
 濡れた唇を拭いながら青峰は頷いた。
「ヤったあと絶対バスケすっから逃げんなよ」
 己の脳細胞に叩き込むように、与えられる言葉を咀嚼する。
「俺以外の奴とヤったら二度とヤらねえ。あ、タツヤはいいぜ」
 火神の言葉に忠実に従うのだと示すために、何度も首を縦に振った。
 青峰の挙動をつぶさに見下ろしていた火神がゆるやかに笑みを浮かべる。それは主人が家畜に向けるものと同じだった。
「偉いな青峰。俺、青峰とバスケすんのすっげー好きだぜ!」
 乾いた手で頭を撫でられる。
 己の全てを肯定された気分だった。今まで青峰が選択してきた行為が結実された瞬間だった。
 火神は青峰のバスケットボールにおける技量にのみ好意を見出している。あの競技ができなくなった瞬間に、火神は青峰を容赦なく捨てるだろう。火神にとって青峰との性交はただの性欲処理だった。
 火神にずっと可愛がってもらうためには、ボールを掴み続けなければならない。
 火神の興味を引く強者としてコートに君臨し続けなくてはならなかった。
 言外にそう提示した火神は気さくな調子で話を続ける。共通の趣味で結ばれた友人を家に招いた高校生の口調で。火神の屹立は依然として萎えていない。
「青峰の母さんにお礼伝えてくれ。いつもありがとうって。青峰は母さんがいていいよな」
「火神」
「どうした?」
「ヤりてえ」
 
 
 人目を憚らない一方的な嬌声と漏れる吐息がリビングを満たしていた。夕方もまだだというのにカーテンも閉めず、リビングで元相棒と現相棒が性欲を発散させる。防水用のシートを床に敷くだけの理性は残っていたことが救いだろうか。汗で濡れた筋肉がぶつかりあう音に黒子はうんざりしていた。泡立った精液が掻き混ざる音だとか、濡れた粘膜を思うさま指で擦る音だとか。
 今日の役目を終えた黒子は虚無の眼差しで彼らの隣にあるテレビで映画を見ていた。悲しいかな、劇中の悲鳴でも彼らの雑音を掻き消してはくれない。
 黒子は暇を持て余していた。火神の部屋のテレビで受信できる、たまたまかかっていた衛星放送の映画を眺めるくらいには。ソファに陣取り、冷蔵庫から勝手に持ち出したアイスをスプーンで掬った。恐らく火神のものであろうから、黒子が食べてしまっても問題ないだろう。
 ひと季節前に話題になった映画だった。原作は黒子も読んだことがあったので気にはなっていたのだ。爪に執着を持つ連続殺人鬼が自分好みのティーン・エイジャーを倉庫に監禁し、思う様痛めつけ、自前の釜で灰にして庭に埋める。小瓶いっぱいの生爪がはらはらと散って、桜の花びらのように川を流れていく冒頭は美しかった。
 映画の話題性はこの殺人鬼役を演じた役者による。世間や常識からは外れているもののどこか憎めない変人の役を割り当てられることが多い件の役者が、爬虫類を思わせる光のない瞳で淡々と被害者を生み出していく様はまさに新境地であった。
 画面から鍋へ視線を向ける。用意されたときとほとんど同じ状態で放っておかれていた鍋の低温調理器の電源は切ったので、黒子のやるべきことは終えたと断言していいだろう。
 黒子はまた画面に視線を戻した。映画も中盤になる頃だろうか。ひとり放っておかれて、持参した小説は読み終えてしまって。黒子はいつでもこの部屋を出られたが、家路に就いてしまう前に一度彼と話を交わしたかった。昨夜から彼が来ているというから相棒の下を訪ねたというのに。
 青峰にだけわかるふくれ面でアイスを掬って独りごちる。
「……氷室さん、遅いですね」
「ただいまー」
 耳元で与えられた予期せぬ声に黒子の背は大きく跳ねた。待ち望んだ声が唐突に鼓膜を揺らしたら、誰だって動揺するはず。驚きのままに振り向けば、外気をまとった氷室がソファに腰掛けた。
 黒子の手にあるアイスのカップにいたずらっぽく目を向ける。
「それタイガの」
「いつ帰ってきたんですか?」
「さっき。二号のおさんぽ終わって、黒子くんの家に預けてきた」
「僕も行きたかったです」
「タイガの用事があったんだろう、優先順位は間違えないようにしなきゃ」
 そうして、テレビで流れている映画を眺める態度で弟とその友人を眺めた。二人をみつめる彼の横顔は幼稚園児を見守る保護者のそれと同じに思えた。いつか彼は己を取り巻く全てに別れを告げていなくなってしまう。そうした予感を彼自身が醸し出していた。
「青峰くんがタイガと仲良くしてくれてよかった。いつまでもあいつの面倒をみるわけにはいかないからね」
「火神君は許しませんよ」
「許すも何も、俺が決めることだから。ね? シャワー浴びてこようっと」
 決定権は己にあるのだと黒子に言い含めた氷室がソファから腰を上げる。立ち上がった彼の身体から一枚の枯れ葉が落ちた。秋色に煤けた、どこにでもある広葉樹の葉。この季節の公園は落葉で地面が覆われていることだろう。
「そんなことより、やっぱり二号と仲良くしてきたんじゃないですか」
 彼のコットンパンツの上から、隠しきれていないアナルプラグの末端に触れた。歩いている分には誰も気づかないだろう。思ったとおりラバーの硬い感触が指に伝わる。出先から弟の部屋に至るまで、彼に羞恥心を問うこと自体が野暮だ。
 氷室は顔色を変えずに黒子を見下ろし、困ったように眉を下げる。世間体を取り繕うとする格好だけの仕草だった。
「だって、二号ってば俺のことメス犬だと思っているんだもの。拒めると思う?」
「……散歩についていけばよかったです」
「ついてきても黒子君は見ているだけじゃない」
 お前では役に立たないという彼なりの心遣いであり牽制であることは理解していた。ただ、それで引っ込むような素直さがあれば、ここに黒子はいない。
「試してもいないのに、ですか?」
「おやおや」
 強情な子供を相手にするように、氷室は目の前の黒子を値踏みした。口元に添えられた指が思案している。僅かに首を傾けるその姿すら絵になった。
 弟やら犬やら、チームメイト以外の同性と軽率に寝る男にはまるで見えない。
「そうだなあ」
 独り言のようなそれは黒子に向けて言ったのだろう。
 前触れもなくパンツの留め具を外したと思えば、着替えをする気安さで下着まで脱いでしまう。唐突に衣服を脱ぎだところなど弟にそっくりだ。
 そのままソファに乗ると距離を詰められた。湿った土塊と獣の匂いがこちらにまで届く。
 恥じらいとは無縁の仕草で開かれた脚。膝を曲げて片脚をゆるく上げた格好は、おのずとその奥までを黒子に明け渡す。
 弟と違って色素の薄い陰茎は萎えたまま、だらりと頭を垂れている。勿体ぶる手付きで彼の指がアナルプラグにかかった。
 出口を求めていた犬の薄い精液が静かにソファを汚していく。彼の手から離れたシリコンの先端から細い糸がきらめいた。
 その時の彼は機嫌が良かったのだろう。そうでなければ提案自体、黒子に与えないはずだった。
「全部舐めたら付き合ってあげる」