歳の数だけ花束を



 ハロウィンはコスプレパーティをするもの、という通説がこの国で世俗化したのはいつからだろうか。
 ここ数年のような気がするも、ハロウィンのメッカともいうべきアメリカでは当たり前のように街を上げて行われているという。もはやあらすじすらうろ覚えの昔に見たホラー映画では、仮装に身を包んでアルコールで出来上がった若者たちがマスクを付けた怪人に惨殺されていた。
 日本でも夏が終わればハロウィングッズが店先に並ぶ。月末が近くなれば吊り下げられた安価なコスチュームが目を引いた。
 死者のための祭事といえば盆であるが、この国が迎えたハロウィンはどうにも安っぽい感じがして好きにはなれない。
 好きになれないから意識的に遠ざけていたのかもしれないし、それよりも大事な行事があるから意識の範疇になかったのかもしれないし。
「氷室さん、お誕生日おめでとうございます」
 包装紙で包んだ長方形の包を差し出す。相手が面食らうのも当然だった。この流れで差し出すのは無理としか言いようがない。
 部活を終えた夕闇時、彼を駅まで迎えに行くという相棒に行き先が同じだからとひっついて、彼の待つここまで来た。昨年の冬からずっと黒子のカレンダーには今日の日が赤い丸で囲まれていたのだから。
 彼らの外食に割り込む形で共にして、そこでも渡せなかったものを、相棒が不在のこの時に渡そうとしている。
 寄せた前髪で隠れていない瞳をぱちりと瞬かせてから、彼は黒子の包を受け取った。
 若干の戸惑いを浮かべる程度には、彼には黒子からの贈り物は意外であったようで。
「ありがとう。君から俺にプレゼントだなんて意外だな」
「こういう日でもないと贈り物をする機会がないじゃないですか」
「そう言われればそうだけれど。贈り物はいつしてもいいものじゃないか」
「そうですか。でしたらもっと軽く考えるようにします」
 もっと軽く考えることができないからこそこうして真っ当な名目で贈り物を贈る機会を伺っていたのであって。
 黒子が抱く思いの重さがやわらぐ日は当分ないだろうと、平気な顔で応える相手を前に思い直す。
 彼を思いながら書店で選んだ一冊の文庫本を、文具店で選んだ包装紙でくるみ、こうして直接彼に手渡す。黒子にとって彼にまつわる全てに気軽でいることはできなかった。
 思いの深さはいつだって最善をと黒子を縛り付ける。それに彼が気づくことはない。それでよかった。
「本?」
 黒子なりの包装を彼は裏返してみたり表に返してみたりと確かめている。かの国の民のようにこの場で包装紙を破くことはしないようだ。
「はい。せっかくなので」
 火神君が読めないものを。
 そう腹の中でひとり呟く。小説であればまず相棒が手を付けないことはわかっていた。それでも相棒が決して触れないものを、と。この時期に丁度いい怪談集を用意した。
 独りよがりであることは承知していたが、彼の好きな読み物というものが最後までわからなかった。ゆえの苦肉の策だ。
 紫原に聞けば彼の部屋にはいくつかの小説があるらしい。聞いたタイトルによるジャンルは雑多であったが、本を読む習慣があるということはおそらく一度はページを捲るはずだろう。黒子の用意した本を。
 彼の指で触れられて、ページを捲ってほしい。そうしてあわよくば、彼の本棚に居座りたい。
 本を贈るという行為はどこか己の分身を贈るのに似ている。黒子はそう考える。
「悪ぃ、待たせた」
「待っていないよ」
 両手にカップを抱えた相棒が薄っすらと息を白くさせて戻ってきた。黒子の贈り物は目立たず彼の鞄に仕舞われていた。相棒の話題に出したくないのかと邪推する。
 彼にカップを手渡した相棒が黒子に視線を移した。
「黒子、帰りひとりで大丈夫か? 今日は送っていけねえから心配するぜ」
 彼は相棒の家に泊まり、相棒は己の家に帰る。二人の行き先は同じで、黒子だけがここで別れるのだった。だからこうして相棒は彼のためにコンビニで飲み物を買ってきた。道中、暖を取りながら向かうらしい。
 相棒からの気遣いがこの時に限って妙に神経を逆撫でた。彼らと己で帰る道は当然異なるのだが、相棒が彼と同じ立ち位置にいるのがこの時に限って妬ましい。とても口には出さないが。
「いつも送ることなんてないじゃないですか」
「やっぱ心配だろ。ハロウィンの前日で夜だ。何がいるかわかんねえ」
「火神君はやっぱり、ハロウィンは怖いです?」
「怖えっつうかさ、ハロウィンの夜に外に出るやつは殺されても仕方ねえし」
 おばけが出るから怖いだろう、というこちらの問に、のり弁にはまず海苔を敷く、というような軽い調子で返すのだから黒子はそれが冗談なのか本気なのか判断に迷った。
 かの国ではハロウィンを舞台にしたホラー映画のように、夜に殺人鬼が彷徨うものなのだろうか。
 彼の反応をすがるように確かめるも、茶化しもおどけもしないので、言い返すのは憚られた。
 弟の言葉に頷くように、のり弁には海苔を敷いた後に醤油を垂らす、と言いたげな態度そのものだったのだから。
「じゃあな、黒子! 月曜にまた会おうぜ!」
「おやすみ、黒子くん」
 こちらが何かを言う前に彼らから別れの挨拶を切り出されてしまった黒子は、どうにかして片手を振り上げるくらいしかできなかった。
 やはりどこか、彼らといるときの己は惨めだ。
 中学の色とりどりの同窓生と共にいる時にはついぞ感じなかった感情を、彼らには抱いてしまう。
 胸底から苦く、淀んだ感情がこぼりと噴き上げてくる。
 これすらいつか楽しめる日が来るだろうか。
 もしくは己の同じ感情を彼らにも分け与える日が先だろうか。
 どちらにせよ今は与えられた苦痛を甘受するしかない。
 片思いというものはどうにも辛く、苦しく、もどかしい。
 己の感情に振り回されるばかりの黒子はすぐに火神から告げられた言葉を忘れて帰路についた。
 ハロウィンの夜に出歩いて死ぬ人間のことよりも、己と彼らについて考えることの方が黒子にはよほど重大だったから。
 


「ハロウィンの夜に出歩くと殺される、ねえ」
「実際そうだろ。人が多ければ多いほどやりやすい」
「でもお前ときたら、いつもハロウィンの前にやってしまうじゃないか」
「俺にはタツヤの誕生日が本番だからな」
 勤め人がすっかりいなくなった深夜の倉庫群に響くのは二人の足音と会話のみで、時折遠くから思い出したように踏切とそこを通過する電車の走行音が聞こえた。
 ぬるくなってしまったカップの中身を大人しく火神は啜った。己はココアで兄はコーヒーだ。それも決まってブラック。幼い頃から砂糖もミルクも何も入れないコーヒーを好んで味わう兄が火神は好きだった。己にはできないことを平気でやり遂げてしまう兄は格好いい。
 その兄を祝うために今日ははるばる秋田から足を運んでもらった。兄もまた部活を終えた後に移動を始めたのでこの時間になってしまったが、好都合だった。
「今年も冷凍モノになっちまった」
「仕方ないだろう。今日は部活があったし、一日で十数人なんてブギーマンにでもならないと。俺はお前から祝われるだけで十分うれしいよ」
「へへっ」
 兄に喜ばれるとそれだけで心が満たされる。寒さも忘れてしまいそうだ。
 飲み終えたカップを潰し、ポケットに仕舞う。廃棄されて久しい倉庫の前で懐中電灯を点け、開きっぱなしの扉から中へ入る。明かりが点けばよいのだが、あいにく電気は通っていなかった。兄に懐中電灯を渡そうとしたが、鞄からすでに取り出して足元を照らしていた。全く兄は準備がいい。 
 放置されたままの機材が亡霊のように居座る空間を進んでいく。
 ここにはお化けはいなかった。
 これから出るかもしれないが、それは今ではない。
 今出たとしても今の火神には怖くなかった。
 己が手にかけた人間が化けて出てきたことなど、今の一度もないのだから。
「十八歳、おめでとう。タツヤ。今年も年の数だけ用意したぜ!」
「ありがとう。今年もお前の活きが良くって嬉しいよ。国に帰るのが楽しみだ」
 火神が懐中電灯で照らした先にはケーキのように丸く並べられたいくつもの頭部。
 用意したライターで舌の上に立てた蝋燭に火をつければ、十八個のランタンが恨めしそうに点った。とはいえ明かりをもたらすために眼球は刳ってあるので、それらがこちらを見ることはない。今頃魚の腹の中で穏やかに眠っていることだろう。
「やっぱりハロウィンは人が死なないとつまらないね」
 頬をゆるく紅潮させた兄のその言葉は幼い頃のものそのままで。
 火神は兄がこうして童心に帰る機会を作るためなら、いつまでも舞台を整えようと決心した。
 兄が喜んでくれるのであれば火神はなんだってするのだから。
「来年も楽しみにしててくれよな!」