こっちの気も知らないで

練習試合に来た青峰にうっかり発情して虎になった火神の後始末に呼ばれた氷室。
火青ありの火氷。
※青峰は穴(なので扱いに注意)。



 口約束に過ぎない関係だが、それでも連絡がつき即座に対応できる縁者として数えられている。
 機能していない親を持つと苦労する。弟のそれは昔から酷い。あの頃は氷室の両親が親代わりだったが、氷室の両親すら遠く離れたこの地では氷室がすべてを背負い込む。
 傲慢にもあれの片親は金さえあれば子が育つと勘違いしている。すべて金で解決したいのならば、氷室と氷室の両親が負った分だけ相応の対価を要求しても罰は当たらない。
 いまだ学校祭にも呼ばれていないというのに足を踏み入れた校舎は、おろし立ての気配がそこかしこに残っていた。
 弟が属した男子バスケ部は新設校に箔をつけたことだろう。二回目の出場でウインターカップ優勝。一度きりのものであっても甘い喧伝に違いない。
 スリッパに履き替えた玄関からすぐの事務室の戸をノックする。

「こんにちは。火神の、火神大我の兄です」

 担任から取り次がれた電話口ですぐに現地へ来るよう訴えられた。弟の担任を名乗る相手は、黒子より唯一の肉親として氷室を紹介されたようだ。相手の慌てぶりがスピーカーを通して伝わる。
 火神が暴れてしまい、氷室でなければ止められないという。無理を承知とわかっているが、来てもらわないと困る、とのこと。
 弟らしいの一言で済ませてしまう氷室に対し、電話を次いだ氷室の担任が遠方のただ事ではない様子に丸め込まれた。相手校のため、何より弟のため。担任は氷室に即座に向かうよう促した。幸いにも特別欠席の扱いとなったので、出席日数が削れないまま公然と遠征サボタージュと相成った。電話を次いだのが陽泉男子バスケ部の女傑こと監督ならば、睡眠薬でも撃ち込んで大人しくさせればいい等と大正解を導きだし、すぐに片をつけたことだろう。氷室は偶然に感謝し、簡素に荷をまとめて秋田を発った。もちろん制服のまま。もしかしたら二日三日弟の面倒を見なくてはならないかもしれないと、しおらしく項垂れることも忘れずに。旅費は弟かその片親から請求すれば問題ない。
 
 職員室から降りてきた教員二人は泡を食っていた。両隣から経緯を説明されつつ件の現場へと歩みを進める。
 バスケ部の練習試合で呼んだ他校の生徒に襲いかかって、そりゃあもう酷い有様で。もう人が手を出せる状態じゃないが、かといって生徒に乱暴を働くわけにはいかない。
 確かに獣返りする子はいるんですけどね、今回はその程度と内容がどうにも……こちらで対処できたらよかった。相手の学校にはまだ知らせていなくてね、大事にしたら生徒がかわいそうで。
 矢継ぎ早に聞かされたそれは電話口で聞いた内容とほぼ同一だった。改めて聞く必要のないものを延々と感情豊かに聞かされるのは、これから事態に巻き込まれる人間に事情を知らせなければならない使命感からではなく、当事者の困惑と動揺の捌け口にされたから。
 火神の父親が受けるべき面倒を一身に受けている。公認遠征サボタージュの対価といわれればそれまでだが、それにしても機能していない親を持つとその周囲が苦労する。
 余所行きのスリッパがぺたんぺたんと廊下に響く。他の生徒は授業に集中させることができているようだ。
 件の現場はすぐにわかった。開け放たれた引き戸の両方に人垣ができている。一階の体育館からここまで移動してきたのならば、さぞ好奇の目があったことだろう。

「呼ばれた火神大我の兄です」

 見慣れない制服を着た氷室が進むと人垣が割れる。血と、冷えた尿の匂い。整頓されていた机は乱雑に倒され、寄せられ、脚がひしゃげているものもある。使われていない空き教室だったことは幸いだった。
 窓際に備え付けられた棚に尻をつけ、尾は優美に掲げ、虎となった弟は脚の間に陰茎を刺した青峰を抱えている。最低限の礼儀として彼には破れた制服がまとわりついていた。交尾というには乱暴な有様。
 人間の汗と乾いた精液の臭い。血の気の失せた顔をしても彼の体内は弟にとって居心地のよいものだろう。赤く腫れたヒトの勃起は白く汚れている。彼も満更ではないようだ。身体のあちらこちらに残った爪痕や噛み跡は皮膚と肉を赤黒く裂いている。傷跡から白いものが覗こうが、千切れたり内臓に支障が出るほどではあるまい。それは彼にとって幸福なことだった。
 後ろの観客が思い出したように怯えた悲鳴を上げる。巨大な弟は氷室の前で誇らしく青峰を掲げた。饐えた吐瀉物の臭いが煩わしい。およそ動物園でお目にかかれない、大きく肥えた虎が人間の男を犯したまま寛いでいる。その姿は縦にも横にも伸びて熊を思わせた。
 さてどうしたものだろうか。だめじゃないかと叱るのは、いかにも状況に即していて厭らしい。ためらいはすぐに溶け、氷室は虎に向かって手を差し出した。

「ほら、おいで。家に帰るよタイガ」

 鼻息を荒く鳴らすと子供がおもちゃを捨てるのと同じ動作で青峰を放る。あひ、と悲鳴を上げて床に落ちた青峰におそるおそる観客が近づく中、火神は棚を蹴って氷室の足下まで飛ぶ。跳躍だけはこの姿になっても誇れるようだ。待ちくたびれたかのように氷室にくぁと大あくびをかます。裂けた口の中は赤く染まっていた。
 青峰に駆け寄った人々の声がこちらにも聞こえてくる。耳をピンと立て、突き出した頭を撫でてやりながら、呻く青峰の背を目で追った。死にはしないだろう。これで死んでは弟が困る。また元気になって弟とバスケをしてくれなくては。

「氷室さん」

 傍らに控えていた黒子から火神の荷物を受け取る。妙に軽いので、制服は入っていないだろうと当たりをつけた。教室のあちこちに捨てられた布ゴミとなったに違いない。制服をまた注文しなくてはならないが、伸び盛りによいサイズを見繕える機会を得たということでよしとしよう。
 邪魔になるのでさっさと肩にかけてしまう。

「ありがとう、助かるよ」

 縁から穴底を覗くかのようにじいっと見つめられる。彼がこの目をしている時は、ほぼほぼ良からぬことを考えている。この目に三十分以上見つめられることがあれば、氷室は目の持ち主を殴り倒すだろう。

「ここは任せてください。火神君をお願いします。また今度」
「また今度」

 四つ足で歩く弟と並んで玄関へ戻り、校舎を後にする。脱いだスリッパを戻した時に、教員に挨拶をしてから帰るべきだったのではと気がつくも、あの現場まで戻るのも面倒だった。騒ぎの元凶はすぐに立ち去ることを望まれていただろうし、こちらから後で電話をかければ事足りるだろうし、氷室の足取りは重くなることなく履き慣れた革靴でアスファルトを踏む。その隣を弟はゆったりと歩いた。そういえば弟が虎になるのは久しぶりのことだ。立てた尾をゆらゆら微かに揺らしてはご機嫌そうに氷室についてくる。氷室も咎める気にはならなかった。
 少し歩いた先にある大通りで、来たときと同じようにタクシーを拾った。三台目でようやくドアが開いた。
 氷室より先に飛び乗った火神を、振り返った運転手はまじまじと見つめて、保護者たる氷室に棘のある視線を向ける。

「お客さん、虎は困りますよ。シートも汚れるし、まず臭いじゃないですか」
「車の中では暴れないので、乗せてもらえないでしょうか。困っているんです」

 財布から取り出した諭吉を二枚、料金受けに差し出した。人の良さそうな運転手は諭吉と虎を何度か見比べた後で氷室を乗せてドアを閉めた。

「暴れたら降りてもらいますから」

 動き出した車に安堵して、荷物を席に下ろした。いくら虎とはいえ、いまにも吐きそうな泥酔客よりは扱いやすいことだろう。氷室は深く息をしている己に気づいて苦笑する。
 傍らの弟の背を繰り返し撫でてやった。車があればこうした事態でも世間を気にせずすぐに対応できるのだが、制服を着た高校生にレンタカー屋が気前よく貸してくれる訳がない。車の運転はできるが、日本に来てからとんとご無沙汰だ。
 弟を家まで運ぶのであれば救急車を呼んだ方がよかっただろうか。いや、怪我をしているわけではないのだから、救急車は青峰のために呼ばれるべきだ。実際もう呼ばれたことだろう。
 弟の身体は血と肉と精液で汚れていた。青峰にマーキングしたために尿の匂いも強い。帰ったらシャワーを浴びさせて、落ち着くまで寝てやらなくては。
 氷室は何も言わず、汚れた毛皮を撫で続けた。
 弟のマンションまで、四桁で済んだメーターに諭吉をもう二枚重ねてタクシーを降りる。運転手は何も言わずに走り去った。
 乗り込んだエレベーターの中で、並んで階に着くのを待つ。平日の昼だからか途中で誰かが乗り込むことはなかった。弟の住むマンションは敷地の広さゆえにファミリー向けのもので、実際家族持ちが多く入居していると聞く。
 氷室はガラス越しに見える、がらんとした他のフロアを眺めていた。
 稼働音が低く響く箱の中は本音が漏れやすい。

「お前、そんなにあれがよかったのか」

 ポケットの中に入っている合い鍵でドアを開ける。弟は指示するより先に部屋に入ってくれたので、氷室が口を開く必要がなかった。
 薄暗がりで光る一対の目が、乗り上げた玄関先で氷室が来るのを待っている。鍵を閉めて靴を脱いで、揺れる尾の導かれるままにリビングへ向かった。靴下がフローリングの床を踏むのが久しぶりだった。
 広々と取られた窓から入る日差しでリビングは明るかった。騒動に片がついてもまだ昼過ぎだ。燦々とまぶしい五月の陽を背にして、虎のままの弟はこちらを向く。氷室は鞄を床に下ろした。

「どうしてお前はそう待てないんだろうね。週末に会う約束をしていたじゃないか」

 長期休暇中でもない平日の朝から練習試合をする学校などあるだろうか。あの場に桐皇の関係者は誰もいなかった。
 獣返りをしたところで所詮は獣。暴れて手がつけられないならさっさと睡眠薬を打ち込めば済む。獣返りの原因は諸説あるが、生存本能を大きく刺激されることだという。性欲や怒りはトリガーになりやすい。
 弟の片親は誠凛に多額の援助をしていると聞いた。税金対策だそうだが、理由はどうあれ金は力だ。金を流す輩と流れた先には嫌でも力関係が生じる。それを踏まえれば、誠凛は生徒の裁量を重んじるよい学校だ。
 氷室は湿った靴下を脱いでそのあたりの床に置いた。スラックスを留めるベルトに手をかける。

「別にお前がどこで誰と何をしようが構いやしないが、あんな紛い物で満たされるのか?」

 シャツのボタンをすべて外して、すっかり脱いでしまう。ベッドに行けばよかったと、この後を思って気がついたが、もうどうでもよかった。表に出さないようにしていただけで、氷室も頭に血が上っている。よく手を出さずにここまで耐えたものだ。昨年のウインターカップでの反省が今もこうして生かされている。
 逆光で陰となった弟の前で、床に尻をつけて脚を開き、丸見えになった穴を指で広げた。
 そこはこのときを思って独りでに濡れ、熱く潤んでいる。弟の凶悪な性器は青峰から抜いた後もずっと上を向き続けていた。

「ほらおいで。お前が欲しかったのはこれだろう」