T's MOVIE



 ドアを隔てた隣や、大勢いる周囲を気遣う心はすっかり消えてしまっていた。脱ぎ散らかした腰から下は兄を囲うためにある。

「次は俺の番だ」

 リクライニングをすっかり倒して真っ平らになった助手席の上で、兄は不敵に火神を見上げた。唇が物言いたげにうわずっている。

「『次も』だろ?」

 兄の言は正しいが、実のところ訂正ではなく挑発だった。それがわからない火神ではないから、何も言わずに反り返った雄を再び兄に押し込んだ。開ききって溶けた甘い泥濘は互いに恍惚しか及ぼさない。磔にした兄の眉は下がれど痛みと真逆の作用を味わっている。フロントガラス越しに漏れるスクリーンの光は火神の広い背で遮られ、転がる兄まで届かない。
 声を押し殺す兄を間近に見下ろしながら腰を動かせば、直に伝わる快楽に兄の相貌が淫らに歪む。小さく開いては閉じる唇から、聞こえるはずのいじらしい懇願は、カーステレオから流れる大きすぎる劇伴が塗りつぶした。振り返り腕を伸ばしてラジオを切るのも音量を下げるのも面倒で、火神の手は兄を味わうことに執心する。
 進入を拒まない肉壁の圧は溶けて、寄せては引く浅瀬のよう。馴染んだ肉は砂だまりのようにどこまでも火神を迎えた。背に這う彼の腕が括るように火神の首に絡む頃には一滴残らず搾り取ろうと圧迫し、全身で求めるに違いない。
 不安と焦燥をあおる声が車内を満たしていた。真後ろに広がるスクリーンでは、雪で覆われた生け垣の迷路で決死の追いかけっこが行われている。助手席をベッド代わりにするふたりには関係のない寸劇だった。
 開いた口から紡がれる、痺れるクリシェ。火神を迎える兄の脚は独りでに開いて腰が揺れている。一度放ったもので濡れて熱した溶けた肉を掻き分ける快楽に、火神は我を忘れて喰らいつく。
 熱気の籠もった密室で汗は玉となり肌を伝う。革張りのシートにいくつも汗を垂らした。乱れた裾から覗く腹に光が差し、脱色したように白かった。

「もう終わりだ」

 汗だくになった兄が荒く息を弾ませ、快楽に主導権を握られた声で途切れ途切れにこぼす。火神が知らずにいられたその映画は、知ることのないままフィルムを回して物語を終えるのだろう。隣り合う車内では、物語の終焉に安堵の溜息をついているに違いない。
 映画が終わればこの窮屈な交接にこだわる必要もなくなる。だけれど火神は、腹でつながるこちらを放って真後ろのスクリーンを気にした兄が憎らしく、覆い被さり首筋を噛む。兄の態度がまともに映画を見られない火神を気遣うためのものだとわかっていても。兄の肌は塩辛く、燃えるように熱かった。
 跡が残るように肌とその舌の血を吸えば、兄の首が逃げるように揺れる。息絶えたように静まる身体に腰を打ち付ければ、首筋で乞うように名を呼ばれた。縋る身体を幾度も求める。
 腹に欲を注いで見下ろせば、惚けた兄が同じように見上げていた。いつの間にか始まっていたエンドロールの終わりを浴びる火神に向けて、溶けた声で漏らす。

「乗り心地は抜群だろ」





『今週あいてる?』

 喧噪も落ち着いた大学のカフェテリア。カリキュラムも学年も大学も異なる恋しい兄とすれ違う日々がつづいていた。今週こそはどこかで彼の声を直接聞かなくては、己を押さえられそうにない。ほんの一日、いいや半日でも夜だけでもいい。会う時間が欲しい。今週末には兄の発表も終わるだろうから、火神に構う時間ができるはずだと思うのだが。大盛りに盛られたパスタを掻き込みながら送ったメッセージの返事を待てば、同じゼミの女友達が片手を上げた。

「ハァイ、いまいい? 食べてるタイガは見つけやすくていいわ」
「おう。隣くるか?」
「ありがと。ねえこれもらってくれない?」

 膨らんだ頬をもつもつと風船のように揺らす火神の前へ、チケットが二枚差し出される。どうやら映画のチケットのようで、それも指定席らしく番号が振られている。どちらも同じ番号なのが気に掛かった。普通は枚数に応じて番号を変えるものではないだろうか。席はひとり一つしか当たらないのだし。

「ん、行かねえの?」
「うーん、彼氏が妹と寝てさ」
「うわ」
「腹立ったから轢いたんだけど、脚折れちゃって入院中。妹じゃないわよ、当然あのクソバカ。もともとミシェルから貰ったんだけど、あげる。行く気なくしちゃった」

 への字に曲げた唇を思い切り突き出す彼女に同情する。直情的激情型とわかっていながら他の女と寝た男が悪い。姉妹であれば尚更悪辣だ。
 浮気をする予定はこれからもこの先もないが、似たような性質の兄と付き合っているから、彼女の気持ちはよくわかる。

「脚だけで済んでよかったな」
「ほんとは頭カチ割りたかったんだけど、うまくいかなかった」
「ちんこは狙わねえの?」
「んー。レイプリベンジじゃないしね。それなくしたら意味ないじゃない」
「じゃあ、しょうがねえか。いいの見つけろよ勿体ねえ。引く手あまただろ」
「うーん、でも、結局あれがよくて付き合ってるとこがあって。憎めないっていうか」
「射精管理して躾ければよくね。今度話聞くぜ、相談乗るし」
「ありがと! タイガにアドバイス貰えるなら百人力じゃない」

 ルージュを塗った大きな唇をにっと吊り上げる。募る恨みや悲しみは一度車をぶつけたくらいでは消えないだろうが、多少なりとも外に吐き出さなくてはやっていられない。こうも感じのいい、それでいていい女を放って、よりによって妹と寝る男はよほどの馬鹿だ。

 フォークに巻いた次の一口を頬張って、改めて手元に渡ったチケットを眺める。火神の膨れた頬の影となって詳細が見えない。紙片をつまんで近寄せた。一目見たら忘れない、強烈な形相の男の顔で半分が埋まっている。

「シアター……映画館か?」
「ドライブインシアターよ。知らない? 外にスクリーンを張って、車のラジオで音を聞きながら見るの。今じゃ滅多にやらなくなったから、興味あって」
「へー。そんなもんもあるんだな」
「今回やるやつは、ちょいグロいけど有名だし、むしろ古典で変なファンがついてるわ。だからプレミア上映ってとこ。盛り上がるんじゃあないかしら……あ、やだタイガ、あんたバイカーだっけ?」
「そうだけど」
「馬鹿ねえ、早く車買いなさいよ。バイクじゃ、鹿はねた時こっちが危ないのに。あ、確かお兄さん車持ってたっけ? 運転してもらいなさい。車じゃないと参加できないんだから!」

 人差し指を突きつけられての念押しと、あまりの剣幕に口内のパスタをまとめて飲み込んだ。チケットを押しつけられたのはこちらなのだが、彼女の前では関係ない。車を持つのが当たり前という社会であるから、当然車の免許は持っているが、火神は身軽なバイクの方が好きだった。駐車場所を選ばないのもいい。車は兄が持っているのをたまに借りるくらいで事足りた。
 欲しくもないものを買ったところで、雑に扱うに違いない。であれば、欲しいと思えたときに手に入れる方が最適に決まっている。いまはまだその時ではないのだ。

 火神はパスタに手をつけられないまま、改めて紙片に目を落とした。タイトルは読めれど、映画に詳しくない火神には内容がわからない。人間が出ているのだからホラーではないと思うが、とりあえず訊いてみる。

「どんな映画?」



「冬のリゾート地で仕事をしながら、家族でホテルの管理をする話かな」

 サラミとチーズとオリーブの乗ったピザをかじりながら運転席の兄が答える。この先二時間ほど運転をしないので、シートベルトは外れ、リクライニングは緩く倒れてリラックスできる格好を取っていた。兄の答えに火神はピザを頬張りながらうなずく。

「へえ、いいじゃん。あったかそうな感じだな。ハートフル系?」
「原作はそうだけどね。うーん、タイガには辛いかも」
「なんだよ、辛いって……それってもしかして」
「ウォーレン夫妻の死霊館とか」
「やっ……めようぜタツヤ、帰ろう。今日は、今日はピザ食いに来たんだ。うん」
「精神病院に突撃するグレイヴ・エンカウンターズとか」
「そうだ! 今すぐ風呂に入ってあったまりてえ! タツヤも風呂はいりてえだろ、帰るぜ!」
「インターネット黎明期だったからこそ、妙に怖気が走る回路とか」
「タツヤ! 頼む……運転してくれ……帰ろうぜ……」
「呪怨を言わなかっただけいいじゃないか」
「呪怨は見慣れてくると面白いからよお……毎度エレベーターの度に笑っちまう……俺もあれ真似してえ」
「今日のは死霊のはらわたみたいなものだから問題ないよ。死霊のしたたりだって、お前腹を抱えて大笑いしていたじゃないか。生首クンニ」
「あれはゾンビじゃねえか! 俺は死霊のはらわたもヤだぜ。なんで週末に気持ち悪ぃ目に遭わなきゃなんねーんだよ」

 いくら作り物とはいえ幽霊が出てくるとなれば話は変わる。せっかくの映画もドライブも、兄といられる時間を恐怖で塗りつぶされてはたまったものではない。何の打開策も持てない超常的な相手に翻弄されて、自分が自分でなくなる恐ろしさを、なぜ皆わかってくれないのだろう。
 二時間もつらい思いをするくらいならば、この場を離れてどこかのモーテルでゆっくりした方がよほどいい。おまけに兄の挙げたタイトルは、むりやり見せられてトラウマになったものだ。思い出さないように過ごしていたのに、タイトルの断片だけでも幽霊やら死霊やらの姿が脳裏に浮かび上がり、火神は震えた。

「死霊のはらわたはコメディだって何度も言っているじゃないか。ピラニア3Dのペニス食いちぎりシーンでも笑っていたし、悪魔のいけにえなんて熱心に何度も見ているっていうのに」
「死霊が蘇って乗り移ってくなんて全っ然コメディじゃねえ……出る、のはダメだ。ダメ、ムリ、絶対」
「わかった、訂正しよう。館のゆかいな住人と交流を深めるハートウォーミングだ。最後には記念写真を撮る。主人公は立派にホテルの管理人になるぞ。あれ……どちらかというと主人公は息子かな?」
「その通りだとしても、だ。ぜってえやべーことになるに決まってるって……タツヤがそう言う時って、ぜってえやべえやつだって……」

 兄には西海岸からここまで運転させて申し訳ない気持ちはある。だが、何を言われてもスーパーナチュラルな何かが出てくるものは避けて通る人生を送りたい。悪魔ならばまだどうにかなる。エクソシスト事案の大半は幽霊ではなく名のある悪魔が憑依することによる。だからエクソシストは問題なかった。ローズマリーの赤ちゃんも、コンスタンティンも。
 幽霊はだめだ。拮抗しうる手段を取ることができない。
 火神の頑なな態度に業を煮やしたのだろう。兄がこれ見よがしにため息をつく。

「わざわざ時間をかけてここまで来たのに。まったく……。まだ熱いピザを放って運転をするのか。頼んだポップコーンはいつになったら来るんだろうな。置き去りにして帰るのか? やれやれだよ。俺たちが金だけ払って残したポップコーンは、冷えてそのまま廃棄かバイトの胃に収まるってことか。このあたりにモーテルはあったか? サイコのジャネット・リーと同じように国道を探すのか。骨折り損のくたびれ儲けだ」
「そ、そんな……俺はただ、幽霊が出る映画を見たくねえってだけで……」
「ポートランドまで運転させてすぐ帰る? おもしろいことを言うね、タイガは。潮の匂いがなつかしい。今日はゆっくりできる日なんだけど。なんで俺は運転してるのかな。もうベッドに入って寝ていてもいいはずだ。タイガ、知ってる?」
「う、ううう……タ、タツヤぁ……」

 ちくちくと良心を突く物言いに、火神は言い訳をする気力を失っていった。兄の言い分はもっともで、貰ったチケットを消化するためとはいえ兄を誘ったのは火神で、車を運転させたのも火神だった。帰りはこちらが運転すると言っても、兄は納得のいく理由を添えてはね除けることだろう。
 すべては火神が当初の予定通りここで映画を見れば済む話だった。それができないからこそ、火神はこうして脂汗をかきながら、兄に縋っている。一向に解決策を講じない火神に、兄は冷徹な一瞥を向けた。まさにとどめの一撃だった。

「幽霊と俺、どっちが大切だ。タイガは」
「たつや……だ、です……っ!」
「俺が大切なタイガは、当然、俺を休ませてくれるね。それなら気を取り直して食事を続けよう。久々のジャンクフードなんだから楽しまないと」
「ううぅ……タツヤぁ……」
「いい加減、物を喋ったらどうだ」
 
 口元に寄せられたピザの切れ端を、しょげ込んだまま頬張った。青菜に塩でも熱いピザは美味しい。オリーブの塩気とサラミの食感が、塩分過多の注意報を鳴らしていても、うまいものはうまい。しばらく自炊ばかりしていた舌には刺激的で、胃がもっとと食欲を訴える。
 火神は舐めるように一切れを収めてしまうと、暗い気持ちのままもう一切れに手を出した。頬を揺らして咀嚼する火神に、兄はサイドメニューの箱を差し出す。

「落ち着いたか? せめて飯を食べ終えてからでいいじゃないか。ポテトとオニオンリングも食え」

 火神はピザで膨らんだ頬を揺らしながら心底望ましいとばかりにつぶやいた。

「一刻も早くゴーストバスターズの結成が待たれるぜ……。全部掃除機で吸ってくれねえと……」
「またマシュマロマンがニューヨークを壊すのは御免だな。とんだアベンジャーズになる」

 これから見る映画が心霊ものと知らされて動揺している間に、無情にも時間は過ぎ去っていたらしい。上映開始のブザーが響き渡り、並んだ車から歓声が上がる。ホラーだというのに、それも幽霊が出るというのにこのお祭り騒ぎは何なのか。余興のように流れていた予告がふつりと絶え、真っ黒な画面が続く。兄がラジオのチューニングを合わせて音源を車内で聞こえるように設定し、火神の緊張は一気に高まった。
 ごくりと唾を飲み込んでも落ち着かない。火神は兄に向かってそろそろと手を伸ばした。

「手、つないでいいか……」
「いいけど。ポップコーン来ないな……上映中に来ることになりそうだ」

 オニオンリングをつまんだ右手を拭いてから、火神の繋ぎやすいように手を伸ばしてくれる。辛辣な物言いをしようと兄が火神を気にかけていることが、何気ない仕草から表われて。火神は緊張で汗ばんだ手を兄の指に絡ませた。犬が吠えようと、隕石が落ちてこようと、幽霊が大写しになろうと、この手を離さない覚悟だった。
 画面に何かが映る前に目をつむる。これで超常現象を視界に入れることはないだろう。しかしながら、音ばかりはどうしようもなかった。ヘッドホンなどないし、片耳を塞いだところで台詞や音は耳に流れ込んでくる。幽霊の登場を予感させる音楽だけで想像力が働いて、眼前に幽霊の面影を描いてしまうのだから困りものだ。
 火神は右手を堅く握った。頼りは左手を握ってくれる兄だけだった。

「しっかりしろよ。最初は出てこないから目も開けていていい」
「んなこと言って、さりげなく写ってる系とかあるじゃん……」
「これに限ってはない。堂々と出てくる」

 目蓋で作った薄暗がりに光が当たったり弱まったりして、火神はスクリーンの変化を感じていた。それに伴い劇伴や台詞が火神の脳裏に情景を描かせる。火神は自分を落ち着けようとした。ここはひとりきりのベッドではなく車内なのだと。隣には兄がいて、ただ映画を見ているだけなのだと。いっそ眠りに落ちてしまえればどれだけ楽か。兄が見かねてピザやらポテトやらを口元に運んでくれる。胃は満たされてきているというのに、いやに目が冴えてしまって眠れそうにない。兄は時折笑みを漏らしたり、火神を握る手の力が強まったり、映画を楽しんでいるようだった。

 スピーカーを通したノイズ混じりの音と、台詞と、左手の先にある確かな兄の手だけが、火神のすべてになっていた。早くエンドロールまで回るよう火神は念じ続けていたが、耳に響く音楽は徐々におどろおどろしい曲調に代わり、警報のように甲高い女の叫び声まで聞こえてくる。どこかの車内で繰り広げられているざわめきが、閉じた窓越しでも残響のように聞こえて、尚のこと恐ろしかった。映画の悲鳴と現実の悲鳴が混じり合い、脂汗が頬を伝う。口が渇いて舌が張り付く。すぐそばの飲み物受けにあるコーラを流し込みたいのに、身体がぴくりとも動かない。まるで金縛りに遭っているかのようだった。

「仕方ないな、タイガは」

 ぽつりと兄のつぶやきが聞こえた気がした。
 頬に手を添えるものがいる。誰だろう、と思ったところで唇にやわらかいものが当たった。それは温かく湿り気を帯びていて、火神の唇をこじ開ける。
 舌だ。濡れた人の舌。目を開けば焦点の合わない間近な輪郭で薄暗がりができている。確かな人のぬくもり。隣で映画を見ているはずの兄が映画を放ってキスしている。前髪が顔の片側に当たるのは兄とだけだ。気味の悪い子供の声がひっきりなしに騒がしい。

「タッ……」

 驚きで離した唇をまたすぐに塞がれて、熱い舌で犯される。兄は呆けた火神の口内へ我が物顔で侵入すれば、戸惑う舌に絡みついては擦り合わせた。
 口をつなげるだけだというのに仕舞い込んだ雄がじんと痺れて熱を持つ。つなげたままの指にきゅっと力を込めた。その気がないのに、その気になるはずがないのに、酸欠が引き起こす錯覚でその先を求めてしまいそうになる。
 ざらついた、それでいて唾液をまとって、溶けるバターのように滑らかな、相反する舌の感触を味わう。シートに身体は凭れていき、くぐもった声が漏れる。どちらのものかわからない唾液をこくりと飲み干せば、ようやく兄は唇を離した。スクリーンの光が兄の輪郭をぼやかしている。

「ちょうど幽霊が出ているところだ」

 またキスができる距離まで身体を近づけた兄の手は、火神のジッパーを下ろしている。恐怖と快感と戸惑いで惚けていた火神の手は、兄を止めるまでに至らない。

「周り、人いるって……こんなとこ、で」
「どうせ映画しか見ていない。ここは映画館なんだから。しかも今はいいところだ」

 とうとう下着をずり下げて、まだやわらかさの残るペニスを引き出されてしまう。まばゆい光を浴びながら、それも助手席で剥かれる状況に、いやがうえに鼓動が高鳴った。

「タツヤ、だめだって……」

 まだ皮の剥けていない上部から下に向けて、火神を包み込んだ兄の手が動く。ゆっくりと、じわじわと追い立てていくその手つきに火神の喉は汗を噴いた。騒がしく恐ろしい音楽が流れるスクリーンを見たくはないし、だけれど兄に扱かれている己の股を見るのも忍びない。火神のまなざしは氷室にのみ注がれた。
 濡れた瞳が光に当たって、いつもよりも潤んで見える。この状況に煽られているのは火神だけではないのかもしれない。

「俺はこのままか?」

 そんなことを問うものだから、火神は何もかも放って同じように兄の雄を引き出した。剥き出しになった滑らかな肌に、形のよいペニスが頭を向けている。感触で兄の反り返った様を知り、火神のペニスは波打った。急き立てられるように、兄の陰茎を手で扱く。
 狭い車内は互いの吐息で満ちていた。すっかり濡れて滑らかに動く手の内で、そそり勃った陰茎がひくひくと脈打ってその先を望んでいる。火神は乾いた口内で濡れたため息をついた。映画どころではななかった。兄に弄ばれる己と兄をこする手の感覚しか今の火神にはわからない。
 兄と最後に身体を重ねてからご無沙汰だった。ひとりで抜いても、どこか寂しさと物足りなさが後を引いた。兄とシリコン製の搾精器では何もかもが異なる。
 ふくらんだ嚢が重く満ちていくのを、焦燥とともに感じる。ぐちゅぐちゅと、まるで兄の後孔を解しているときのような水音が、互いの手の内から聞こえてくる。カーステレオから流れる音楽は気にならなくなっていた。互いに脈の速くなった性器に、このまま射精を迎えるのかと思えば、窓ガラスをノックされる。

 予期しなかった物音に背が跳ねて、聴覚が研ぎ澄まされる。兄に声をかけようとした刹那、視線で制された。「黙っていろ」と、声なしに唇が動く。
 兄が運転席側の窓を下ろせば、外気が吹き込んできた。熱った肌と頭が冷えていく。

「どうかしました?」
「お待たせしました、ポップコーン大盛り!」

 力任せに大きな容器を押しつけられた兄は流れ作業のようにそのまま火神へ手渡す。財布から多めの紙幣を渡せば、売り子のスケーターガールはにっこり笑って遠ざかっていった。
 弛緩した車内に熱したバターと弾けたコーンの匂いが漂う。火神は天井を仰いだ。兄は用の済んだ窓を上げている。

「すっげえ焦った……」
「もう終盤だっていうのに、いい根性をしている」

 火神はポップコーンの容器をぬいぐるみのように抱えた。鼻孔に溶けたバターと振りかけられた塩の匂いがいっぱいに広がる。ふたりともおっ勃てたペニスを出していたが平然とやりとりをされたのは、陰になってうまく見えていなかったからと思いたい。そうでなければしばらく落ち込む。
 一気に疲れを感じた火神はポップコーンをつかんで頬張った。いま弾けたばかりなのだろう、塩気とバターはちょうどよいし、火傷しそうなほど熱い。機械トラブルで今まで作れなかったのだろうか。
 惰性で頬を動かしていれば、何を思ったのか兄が火神の膝に乗り上げた。狭い車内、それもクラクションにぶつかることなく助手席まで移動したのだから兄の器用さには参る。器用すぎるので、これ以上何もしないでいてほしい。
 露出した肌は互いに汗で湿ってしっとりと張り付いた。兄が下着をくるぶしまで下げたせいで、火神はやわらかな兄の尻を膝で味わった。

「タツヤぁっ! 俺っ、ポップコーン持ってんだけど!?」
「食べてろよ。好きだろ、それ」
「そういう問題じゃねえからほんと……」

 スクリーンに背を向けて火神に跨がった兄は、放られた火神のペニスと己を包んで擦り上げる。兄の焦りを帯びた手つきに、間近で受ける荒い吐息に、火神の欲は素直に滾る。状況の異常さがふたりを追い立てていた。映画館の最後列でも、ここまでしたことはない。誰かに見られているかもしれない、身の竦む思いがスパイスとなって兄にくちづけていた。兄は素直に応え、手の動きをいっそう速くする。火神は指先で兄の濡れた先端を弄るだけ弄った後に、閉じたままの兄の後孔の襞を数えるように触れた。
 兄の背が腰から揺れる。兄から離した唇は、薄くひらいて火神を呼んだ。欲に濡れた瞳で見下ろされ、それだけで喉が鳴る。

「ん、タイガ」

 誘われるように指を埋めた。手つかずのそこは固く閉じたまま。兄の蜜で重く濡れた指は引っかかりを与えながら熱い肉を開いていく。火神にもたれる兄の眉が煩わしげに歪んだ。指の腹を曲げてやる。

「あ、っ……あ」

 兄の身体に潜ったそこで濡れた音がする前に、漏れる声に甘さが混じるその前に、兄は自ら腰を浮かして火神の雄を己に宛がう。期待に染まった瞳は火神をまっすぐに射貫き、反った怒張を尻にすりつけて煽った。まだ堅さの残るそこを貫き、思うさま擦ればどれだけよいか、どちらも身を以て知っている。
 スクリーンは逆光となった兄の影で覆われて、火神に何も見せやしない。スピーカーから流れる音は熱の前には無意味だった。
 乱れた前髪を指でさらって耳に留めてやる。命じられた犬のようにその先を待つ火神に、兄は得意げに言い放った。

「ここまで俺が乗せてやったんだ。今度は俺が乗る番だろう?」




THANK YOU

 この度はT's MOVIEにお立ち寄りくださりありがとうございます! 多々感謝申し上げます。火氷、兄弟がお好きな方にすこしでもこの企みをお届けできましたらうれしいことはありません。
 ドライブインシアターインかがひむ!! ということでカーセックスを楽しく書きました。レディー・プレイヤー・ワンのせいで映画がシャイニング(キューブリック版)になってしまって火神くんがシアターを楽しめなかったので、今度は楽しく見ながらセッしたいですね。いつになく氷室がオラオラなのは火神くんがふぇえだからです。車ですから乗る乗らないは大切ですねえ。
 それではまた次回があればお会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。

2021/6/6 加筆修正
2019/1/27 頒布


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